森と木のクリエーター科森林環境教育専攻
91 卒業生の進路

<特集> 「まだ名前がない森のしごとをつくる人」 vol.3 山﨑葉子さん(22期生)

森のそばで、幸せに暮らすために
― 地域と人の
”間”のしごと ―

山﨑葉子さん(22期生)

特集・卒業生ロングインタビュー「まだ名前がない森のしごとをつくる学校」。第3回目は、「森の側で暮らす」を実現するために「親子入学」をした山﨑葉子(やまざき・ようこ)さん。自身の生き方と山村のあり方が一体となったしごとを手がける山﨑さんに、これまで、そしてこれからを聞きました。


愛知県豊田市。世界的な自動車産業の都市として知られる一方、市域には広い山村地域が広がっています。2005年の市町村合併によって旧町村部も豊田市となり、都市部と山村部を一つの自治体の中に抱える地域となりました。

山村では人口減少と高齢化が進み、これまで地域の人たちが担ってきた暮らしや地域活動を、そのままの形で続けることが難しくなりつつあります。

一方で豊田市は、市民の暮らしを支える矢作川とその流域の森林を大切にしてきました。だから、市は山村に人が住み続けること、森林に人が関わり続けることを決めました。

豊田市の山村地域活性のために、山村と都市、人と人、人と地域、そして地域と行政をつなぐ役割を担っているのが、「一般社団法人おいでん・さんそん」です。法人のミッションとして「都市と山村をつなぎ、豊かで持続可能な地域づくりに寄与する」を掲げます。

集落支援の拠点「とよたさんそんセンター」(豊田市旭)

都市部から山村地域への移住・定住の相談窓口をはじめ、地域で何かを始めようとする人の支援や人材育成、施設の管理、集落の自治活動への伴走など、業務は多岐にわたります。

15年以上にわたり豊田市の山間地域の活性に関わってきた戸田友介(とだ・ゆうすけ)さんは、これからの山村地域のあり方についてこう話します。

「ここあと10年、20年を考えると、集落はかなり小さくなっていきます。ではどうするのか。集落が小さくなりながらも、最後まで寄り添っていくこと。それが私たちの集落支援だと思っています」

戸田さんは、他所のどこかに「正解の地域モデル」があり、それを持ってくればよいわけではないとも言います。

「これまで『これがいい』とされてきた地域に対する世界観は、現実社会ではすでになくなってきています。ということは、これからは自分たちで「ありたい姿」をつくっていかないといけない。ここには、移住してくる人もいるし、外から関わりを持ってくれる人もいる。でも<関係人口>だけでは地域を維持できません。自分たちが目指すモデルは、ここに住んでくれる人たちと一緒に、<やれる範囲を探していく>ということだと思うんです」

戸田さんが大切にしているのは、ビジョンや施策を地域に押し付けるのではなく、地域から「相談したい」と思ってもらえる関係を”つくっておくこと”だと言います。それは行政に対しても同じとのことで、行政からの仕事を請け負うだけではなく、<すぐ隣にいる民間組織>として、地域づくりに奮闘する職員に寄り添います。地域と行政の間で<支える関係>をつくりながら、人や情報をつなぎ、地域にとって最も必要なことを一緒に考えていきます。

「結局、この地域が継続していくためのネタをいろいろやるしかない。その時に、自分たちから情報を取りに行くというより、情報が集まってくることになるといい。そして相談に来た人に対して、僕らが付加価値を提供し続けられる、そんな寄り添い方ができればいいのかなと思っています」

優しく静かに、でも熱い想いで地域に寄り添おうとする戸田さん。その横で、ニコニコしながら話を聞いているのが、森林文化アカデミー22期生(2024年3月卒業)、「おいでん・さんそん」のコーディネーター、山﨑葉子(やまざき・ようこ)さんです。

おいでん・さんそんの戸田友介さん(右)と山﨑葉子さん

 

自分らしい生き方を探して辿り着いた「境界が曖昧な働き方」

今、何をしている人ですか? ー その問いに、山﨑さんは少し考えながら答えました。

「おいでん・さんそんで、コーディネーターをしています。― でも、コーディネーターって何でしょうね?地域のこと、人のことが関係していれば、だいたい仕事の範疇に入ってくるんですけど」

豊田市の山村地域で、移住・定住をはじめとした相談窓口、地域で活動する人たちの伴走などに携わっています。また、地域にどっぷり浸かる生の経験を提供する「山里ひとなる塾」の企画・運営も手がけます。

さらに、「おいでん・さんそん」の仕事とは別に、豊田市と市民が協働で開催する「とよた森林学校」の事務局として、講座の運営にも関わっています。

多忙な毎日ですが、仕事なのか、地域活動なのか、ボランティアなのか ーーー 山﨑さん自身も「ここが結構グレー」と笑います。けれど、こうした「境界が曖昧な働き方」は、偶然そうなったわけではありません。

森林文化アカデミーに入る前から、山﨑さんがずっと考えてきたことがありました。

「どういう働き方をすれば、自分がやりたいことと、実現したい暮らしを、一緒にできるのだろう?」

山﨑さんが追い続けた問い、その原点を辿っていくと、最初に出てきたのは息子さんの林間学校でした。

 

「お母さんは行っちゃうもんね」から始まった森林との関わり

山﨑さんは岡山県出身。子どもの頃、父方の実家へ帰ると山で遊んでいたため、森には親しみがありました。ただその時は、森林について専門的に学ぼうとか、森林に関わる仕事をしようと考えていたわけではもちろんありませんでした。

山﨑さんが森林に興味を持つきっかけになったのは、結婚して愛知県で息子が生まれ、彼が小学5年生になった頃でした。学校の林間学校を前に、息子さんが「行きたくない」と言い出します。

「大人になったら林間学校なんてないんだよ、今行かないともったいないよ、と言っても聞かなかったので、じゃあ『お母さんは行っちゃうもんね』って、自分が参加できる森林のイベントを調べました」

検索して偶然見つけたのが、「とよた森林学校」。2014年、2泊3日の「間伐ボランティア初級講座」に参加しました。

「そのときは、森林ボランティアをやるぞ、みたいな気持ちは全然なかったんです」

ところが講座を終えると、参加者同士で森林ボランティアチームをつくることになり、なぜか山﨑さんは副代表に。週末になるとチームで山に通い、間伐をして、山から材を出し、「木の駅」へ運びました。しかし、森での活動を行う中で、山﨑さんの中に少しずつ疑問が生まれてきます。

「最初は、暗い森を間伐したら明るくなって、きれいになる、気持ちいいな、くらいだったんです。でも、こんなに広大な森があるのに、私たちでは一日に数本しか伐れない。これはきりがないのでは、と唖然としました。それから、『森林の問題って、いったいどうなってるんだろう』という疑問をずっと抱くようになりました。」

間伐ボランティアを始めた頃

 

子育てからの卒業。今度は自分が学生になる

疑問を抱えながら、森林ボランティアへは10年以上通うことになりました。

「一個人としてその場所に行って、私が何者であっても、ただみんなで木を伐っているだけ、みたいなのが心地よかったんですよね」

森林に関わることが、少しずつ、自分自身の生き方を考える時間にもなっていきます。経済的自立を目指し、職業訓練で事務業務を勉強したり、介護の資格を取って介護職としてフルタイムで働きはじめました。これまでと違う日常の中で、山﨑さんの中に大きな疑問が湧き上がります。

「毎日の行動が、”職場とスーパーと家のトライアングル”から出られなくなっていた。自分の実現したい暮らしは、この先にあるのだろうか?」

働いて、帰りにスーパーに寄って、家へ帰る。また翌日、職場へ行く。休日は、たまに森へ行って木を切る、そんな暮らしを続けながら、やりたいこと、実現したい暮らしとしごとの折り合いをどうつけていくのか ― 山﨑さんの思いは、一つの方向性に帰結します。

「森のことをやりたいのなら、森のそばで暮らせばいいのでは」 

それを実現するにはどうすればいいのか。森林施業では、間伐した木が山に残されることもあります。長い時間をかけて育った木は、きれいでいい匂いがする、その木が使われずに山に残されていることが「もったいない」。

「木製品を通して、森のことを知ってもらえるようなことが、仕事になればいい」

木を使う仕事なら、木工だろうか ー そんなことを考えていた頃、森林文化アカデミーを知ります。そのきっかけは、またもや息子さんでした。

農林高校に通っていた息子さんの進路を一緒に探していると、森の仕事を紹介する会場で、森林文化アカデミーのパンフレットが目に留まりました。息子さんに進学を勧めると、あっさり断られます。

「じゃあ私が行こうかな、って。子育てからの卒業と同時に、アカデミーの入学を決めた感じでしたね。息子には『お前はお前の道を歩け。私は私の道を歩く』って言いました」

ところがその後、息子さんも別の経緯から森林文化アカデミーへ進むことになります。

「二人は全然違う方向を向いているのに、結果だけ見ると同じことをやっている。不思議ですね。結局は、私は彼に導かれているのかもしれない」

こうして山﨑さんは2022年春、森林文化アカデミー開学以来初めての「親子で同級生」という学生生活をスタートしました。

二人は同期生に

 

「私、職人になりたいんだっけ?」

アカデミーでの生活がスタートし、山﨑さんは木工専攻で学び始めます。自分で木製品をつくることができれば、それを通して森林のことを伝えられる、そんな想いで専攻を選択しました。

ところが、本格的に木工を学び始めると、違和感が生まれ始めました。

「職人の世界が深すぎて・・・。あれ、私、職人になりたいんだっけ?ってなったんです」

木工機械と向き合い、コンマ数ミリの精度を追い、技術を究めていく木工職人の世界。それはもちろん面白い。しかし、山﨑さんが本当にやりたかったことは、そこではありませんでした。

「純粋に”ものを作りたい”というわけではなくて、<木のものを通してその背後にあるものを多くの人に知ってほしい>というのが、自分の本当にやりたいことだったんだと、あらためて気付きました」

ものをつくりたいのではなく、木のものを通して伝えたい ー アカデミーでの学びを通して、自身が目指す本当の姿が、少しずつ見えてきました。そこで山﨑さんは、1年生の途中から森林環境教育専攻の授業も履修し始めました。

「授業をちょこちょこ取っていたら、これが面白い。森林環境教育の人たちも面白いし、考え方もちょっと面白いかも」

折れた桜の大枝を簡易製材で板にする

一時は、一年で退学するという選択肢も考えていたそうです。しかし、

「どうせここまで来たんだし、面白そうだと思うものを、もう一度一生懸命追いかけてみるのもいいのでは」

と思いとどまり、2年生からは森林環境教育専攻に所属を移すことに決めました。

一方、1年生のときには、授業で出会った地域の人と一緒に、折れた桜の大枝を製材し、旋盤で器をつくり、その器で地域の人と酒を飲み交わす、という自主活動も。山﨑さんの活動は、林業・木工・森林環境教育それぞれの要素が合わさり、横断的な学びとなりました。

アカデミーに入学し、当初想像していたものとは違う道を山﨑さんは歩み始めましたが、こうふり返ります。

「良かったと思います、私的には。回り道をして、他のみんなよりたくさん、いろんな授業を履修しました。学んだこと、自分でやったことは、アカデミーの要素が全部入っていて、面白かったです」

桜の板から盃を削り出し、地域の方に評価をいただいた

 

人は、分かり合おうとすることができる

アカデミーや森林環境教育での学びで、今の仕事につながっているものはありますか? ー そう尋ねると山﨑さんは「いっぱいありますよ」という答えが返ってきました。

野外活動の知識や、安全管理、救急救命法。チームビルディングや、対話の大切さ。さらには、「火を起こせる」「どこでも寝られる」「失敗してもいい」といった寛容さとタフさ。そこから生まれる「自分を信じる」という力などなど。様々な学びが、今の活動にも活かされているといいます。

「今も(心理的安全性の)ストレッチゾーンとパニックゾーンを試しながら、取り組んでいます。おかげで、大抵のことは『何とかなる』と思えるようになりました」

清里オーガニックキャンプ(山梨県)で、犬にすり寄る山﨑さん

アカデミーに集うさまざまな背景を持つ人たちと一緒に過ごした時間も、山﨑さんにこれまでの人生と違う、大きな影響を与えました。

「人は分かり合おうと努力することができる。人間に対する信頼を取り戻した時間でした」

実社会では、必ずしも相手と深く分かり合わなくても一緒に仕事はできます。職場を離れれば、プライベートでは関わらなくてよい、そんな関係で成り立ちます。

しかし学生生活は違いました。年代も、経歴も、価値観も違う人たちと一緒に学び、対話し、共にご飯を食べ、そして時には本気でぶつかり合う。そこから逃げずに互いに関わり続けるという、濃密な2年間を経験した山﨑さんは、こう語ります。

「現実には表面上の付き合いだけの社会もある。でも、そうじゃないところに身を置いたあの時間は良かったと思っています」

多様な年代、バックグラウンドの人々が集まった22期生の仲間たち

 

ご飯をつくると人が集まる。

学生生活の中で山﨑さんはもう一つ、”誰から言われたわけでもない活動”を始めます。それは、山﨑さんがご飯をつくってみんなで食べる「森の食堂」でした。

翔楓祭の「森の食堂」では、持続可能なワンプレートをコンセプトにシカの肉団子を提供

1年生の秋、学園祭「翔楓祭(しょうふうさい)」が開かれます。仲間と一緒に、「食で森と人をつなぐ」というテーマで出展したのが「森の食堂」でした。

「森の食堂」はその後、学内の<ゲリラ食堂>として活動が続きます。山﨑さんが、時折料理をつくります。特にアナウンスをするわけでもなく、昼になると、学生たちが”なんとなく”集まってきます。食べた人は自分の気持ちを「投げ銭」として置き、それが次の食材となっていく ー 食べることを通して、学生同士のつながりがつくられていきました。

「続けようと思って始めたわけでもないんですけど、続いていましたね。私はやりたい時にしかやらないし、みんなも来れる時に勝手に来る。強制的なものは何一つない、そんな、ゆるい感じが良かったんだと思います。結局、30回以上開催しました。でもこのとき、みんなで一緒に食べるというのは面白いな、って感じたんです」

入学後、専攻が分かれ、みんなで顔を合わせる機会が少なくなる中で、食事が人をつなぐ機会をつくっていました。後になって振り返ると、そこには山﨑さんが普段から大切にしているものが表れていました。

「食で人がつながっていくとか、『同じ釜の飯を食う』とか、そういうことを私は信じてる方なんです」

自発的で、そして自然体で続けていた活動でしたが、その中で生まれた気付きが、その後の山﨑さんの「課題研究」に繋がっていきます。

学生同士がつながるきっかけをつくっていった「森の食堂」

 

「自分が大事にしていること」と向き合う課題研究

人と人とに真剣に向き合うこと、人と人が触れ合える温かな場をつくることの大切さを意識し始めた山﨑さんは、アカデミーでの学びや生活で得た「感覚」を自身の「課題研究」に帰結させていきます。 

2年生になり、森林環境教育専攻として始めた課題研究、その過程は決して順調なものではありませんでした。

「なんか苦しかったですね。すごく悩みました」

自ら問いを立て、起きている現象を捉え、アプローチする課題を明確にして、取り組む手法とその評価を定め、仮説に基づいて実践する。そしてまた問いを立て、実践していく・・・そのループを何度も繰り返すのがアカデミーの「課題研究」です。

山﨑さんが実現したいもの、それは「自分らしい生き方」であり、そこはブレない。しかし、その実現のためには、目の前に現れる「森と人の関係」「森に関わる人々の悩み」「森と人、人と人とのつながりの構築」など、様々な課題に向き合わなくてはいけません。そして、そこには明確な答えや解決方法はありません。

自分が進みたい先、実現してほしい森と人の姿がぼんやりと浮かぶ ーー 感覚的には分かるが、それは何で、どう他者に伝えるのか。課題研究では多くの場面で「言語化」が求められていきます。言語化は、他者に伝える前にまず、”自分自身に矢印を向ける作業”であり、自身の感覚や思考を明瞭化させる作業です。

「あらためて自分自身に向き合って、『もう何も出んだろ、こんなところから』と思うようなところからスタートでした。研究をやってる時は、『わけ分かんないことがたくさんある。もうこれ以上突き詰めたくない』ということもたくさんあって。でも、自分と目の前のことに向き合い続けるというか、とにかくしっかり向き合って、それを言葉にしてみて、何だったのかを、とにかく記録してみた。そんな日々でした」

課題研究では、豊田市の森林施策の歴史と現状を捉え、そこに関わる人々への膨大なヒアリングや会合への参加から、「森と人をつなぐためには、森に関わる人と人同士がつながることも重要ではないか」という考察を導きます。

山﨑さんは「人と人がつながるためには<良い場>が必要である」ことを解きます。そして良い場づくりには、多分に暮らしや生き方を含めた主催者の「在り方」が大きく作用する、とします。

さらに<良い場>は、場に集う人々の「自主性・主体性」を引き出すとし、そのためには参加者それぞれが安心して参加できる包摂的な空気感が必要であると提唱しました。こうした<良い場>をつくることについて、山﨑さんは様々な要素を統合して「アットホームな場づくり」と表現し、その必要性を提唱しました。

山﨑さんの課題研究「『森と人をつなぐ』場づくりー森林環境教育の視点からー」は、現在の自分が考えていること、そして活動の本質と大きくずれていないと言います。

「課題研究はやって良かったと思います。何が起きているのか、その瞬間には分からないタイプなんです。今やっていることを、すぐには俯瞰して見れないから、いつも通り過ぎた後に、『ああ、これはこうだったのかも』みたいな感じになる。振り返ると、アカデミーでの研究が今の暮らしや仕事にもつながっているんです」

 

倉庫づくりが人をつなぐ

課題研究のまとめとして、自身の提唱する<良い場づくり>を実践することを宣言します。それは、移住先である豊田市で、空き家の古い倉庫の解体と、地域材をつかった新しい倉庫づくりでした。

2024年3月、無事卒業した山﨑さんは、しばらくしてその宣言をプロジェクトとして始動させます。足掛け3年に渡る、みんなでつくる倉庫づくりが始まりました。

集まったのは、卒業したアカデミーの同期や、後輩、そしてOB・OG。豊田で森林ボランティアの仲間。そこからつながる、地域の製材所や近所の建具屋さんなどなど。作業は、延べ30回を超えました。全てが順調に進んだわけではなく、様々な紆余曲折があったそうです。それでも、誰かが力を貸してくれる、人と人とのつながりで進んでいきました。

倉庫づくりはまた、移住した山﨑さんと近所の人がつながるきっかけにもなりました。

「近所の人が集まるお宮の下にある家なので、いろんな人が注目していました。ここの家に入ってきた人が、なんかやっとる。人を集めて、なんかやっとるみたい、みたいな」

古い倉庫の解体。近所の方々も手伝ってくれた

移住してはじめの1年間は、倉庫づくりや近所とのつながりづくり、地域の活動、そして仕事やボランティアなどを通して、新しい暮らしと土地に、ゆっくりと身体を馴染ませていきました。

「最初の1年はぶらぶらしていましたね。でも、その”ぶらぶら”がよかった。『山﨑さんってこういう人なんだ』と地域の人に知ってもらう時間になりました」

そんな中、ゆっくりと進む倉庫づくり。作業をしていた山﨑さんは途中から、やって来る仲間たちのご飯づくりを主としていきます。集まった様々な人々は、作業の合間、昼になるとみんなで食卓を囲みます。休憩では手づくりのおやつを食べ、夜になれば夕飯を囲みながら、酒を飲み交わします。泊まった人々は、翌朝、朝ごはんをまた共にして、作業をします。

そして、倉庫づくりに訪れた人々は、作業の合間には地域行事にも参加しました。

「作業は春から秋までの長丁場。みんなは、寝袋持参で来てくれました。作業が終わればお風呂屋さんへ。地域の行事では、お不動さんの大祭、節分祭に参加。別の村祭りや花火にも行きました。他にも我が家の山菜祭りや、しだれ桃の花見、誕生日会、沈黙の恵方巻一気食い、などなど。思い出がたくさんできました」

食が人と人、そして地域をつなげる ー アカデミー時代の「森の食堂」と、どこか似ています。倉庫づくりを通して、山﨑さん自身が意図していたわけではない、人と人、人と地域がつながる「場」が、自然と生まれていたのです。

課題研究を通して宣言した仮説を、山﨑さんは倉庫づくりを通して実践しました。中と外の人がつながり、地域の森から出た木は建物として活かされました。それは、木のものづくりを通して森のことを伝える、山﨑さんが目指していたことでした。

さらに参加する人々の「自主性・主体性」を引き出す、「アットホームな場づくり」がこのプロジェクトで見事に実現していたのです。

倉庫をつくっていたはずなのに、その周りには、人と人、人と地域との関係も同時につくられていきました。山﨑さんが思い描いた「『森と人をつなぐ』場づくり」、その第一歩が力強くスタートしました。

 

「とりあえず、私は今日も幸せなんですわ」

卒業から3年、現在は(一社)おいでん・さんそんの常勤スタッフとなりました。

かつて、「どうやったら森のそばで暮らせるのだろう」と考えていた山﨑さんが、今は同じような思いを持って地域を訪れる人の相談に乗っています。そこには、自分自身も悩み、苦しみながらも道を開いてきた、自身の経験も大きく活かされているのではないでしょうか。

一方で、山村地域は課題が山積しています。冒頭の戸田さんは、「縮小する地域で、どうやって自分たちが暮らし続けるか」という、大きな問いを示します。その一方で「地域にたくさん人を呼べばいい」と単純に考えているわけでもありません。

これからさらに人口が減り、今できていることができなくなるかもしれないという懸念の中、戸田さんの考えに共感する山﨑さんは、今の自分たちを「しまう世代」と表現します。

「今やってる活動もそうだけど、これを続けていくのか、もうしまわないといけないのかを、私たちは問われていると思う」

都市部の人も参加する「山里ひとなる塾」の様子

世界で起きている、成熟した社会の人口減少問題。地域のあり方を、人口が多かった時代のそれに戻すことはできません。一方で、人が減っていくことは、そのすべてが悪いことではないかもしれません。

戸田さんと山﨑さんは、大切なのは「何を残すのか。何を大事にしたいのか、それを一つひとつ考えること」と言います。「とよた森林学校」の今後や、木の駅プロジェクト、これまでの地域の活動などなど、長く地域の人たちが続けてきたものが、担い手不足によって山﨑さんのところへ回ってくることも増えました。

「今、必死で拾ってるんです。これをやめるのか、やめないのか。ただ”ブツッと切る”んじゃなくて ― 「最後のバトンが、もしかしたらこれかもしれない」と思って、まずは受け取ってみる。それから、それをどうするのかを考えないといけない、そう思っているんです」 

地域の方のお話を聞く山﨑さん(中央手前)

かつては遠くから森林や山村を見ていた山﨑さん。今はその中で暮らし、課題について当事者として考える、戸田さんたちと同じ「地域の人」になりました。

「どうやって暮らし続けていこうかと考える時、まぁ難しいなと。でも、そこに生きている人がいる限り、地域は延命していきます。だから<入りたい人が、入ってこられる地域>があるといいですね」

これからどうしたいのか ー そう尋ねると、少し考えた後、こんな答えが返ってきました。

「とりあえず、私は今日も幸せなんですわ」

ずっと描いてきた「森の近くで幸せに暮らす」ということが、まずは実践できているという山﨑さん。これからについて、「起業も視野に入るかも?」と続けます。

「大きな成功を目指しているわけではないのですが<人を招いてなにかをする>ということは、ずっと意識があります。ニーズありきだけど、誰かがやらないなら、私がやるかもです」

「地域の資源を活かして人を招いて、地域も嬉しいし、来る人も嬉しい。そして、私も嬉しい」

「やりたくなったら、やるかもしれない」― 今はいつでもやり始められるための素地をつくっているのかもしれないと、山﨑さんはこれから起きるかもしれないことについて、思いを馳せていました。

20年近くアカデミーに棲み続けたネコ「まとい」の最後を看取る役になった。それはとても大切な経験だったと山﨑さんは語った

 

アカデミーでもらった「人生の目次」

最後に、森林文化アカデミー、そして森林環境教育専攻は、どんな人に向いていると思うか質問しました。

「自分で決めたい。自分の人生をこうしたいと思うのだったら、行くといいのかな」

そして、アカデミーでの学びをこんなふうに表現します。

「アカデミーの学びって、たぶん、すごい混沌とした”カオスみたいな感じ”なんだけど、”人生の目次”をいっぱいもらうんです」

「自分の中で手詰まりだと思っても、”自分だけで頑張らなくてもいい”って思える。いろんな知見があるから、いろんな人に聞いて、何とかなることもある。新しいものも作り出すことができるかもしれない。そういう可能性を感じることができます」

「困った時に、どこを掘ればいいか、掘るためにはどういう視点や方法、方向があるのか。それが分かるようになった。生きていく時に、途方に暮れなくて済むようになりました」

山﨑さんが森林文化アカデミーに入った時、目指していたのは「木を使って、森のことを伝える人」だったのかもしれません。学ぶ中で、少しずつ自身と人々の「幸せ」を考えるようになりました。

そして今、山村で暮らす当事者となり、目の前に広がる課題と可能性、地域の未来に、暮らしと仕事を通して正面から向き合っています。

「森林に関わる仕事」という名前だけでは、山﨑さんのしていることを十分には説明できません。むしろ、

 ― 森のそばで、自分自身が幸福に暮らすこと
 ― その暮らしを通して、人と地域をつなぐこと
 ― 自分が受け取ったものを、次の人へつないでいくこと

それらすべてが一つにつながったものが、山﨑さんの「しごと」であり、「暮らし」であり、そして「生き方」そのものなのではないでしょうか。

地域の作業をする山﨑さん

森林環境教育専攻を卒業したら、何になれるのか ー その問いに一つの答えはありません。でも、山﨑さんの言う「人生の目次」をたくさん持つことができれば人生は豊かになる、それは私も共感します。

紆余曲折をしながら、自身が目指す姿を信じて、人生を選択し、森と人とつながりながら歩き続けていく。その課程で、自分らしく生きるための「まだ名前のないしごと」が生まれていくのかもしれません。

山﨑さんは、山村で暮らす一人の生活者として、渡されるバトンを「つなぎ直していく人」でした。森と地域の人々と共に歩む山﨑さんの活動に、これからも注目していきます。

<2026年9月作成>
写真提供: 山﨑葉子さん
文責: 森林環境教育専攻 教員 小林謙一(こばけん)