森と木のクリエーター科森林環境教育専攻
91 卒業生の進路

<特集> 「まだ名前がない森のしごとをつくる人」 vol.1 上田博文さん(24期生)

森林環境教育専攻は、「何を目指す専攻なのか、分かりにくい」と言われることがあります。それもそのはずなのかもしれません。森林文化アカデミーの他の専攻のように、特定の職業や業界を明確な出口として示しているわけではないからです。

森林環境教育専攻では、「気づく・伝える・つなぐ」をテーマに、森や自然と人との関係を幅広く学びます。そしてしごとの対象となるのは、他の専攻のように建物やモノ、森など、形あるものではなく「人」、そして人が織りなす「社会」、さらには人と自然の「つながり」です。これらを目に見えるようにするのは、なかなか難しいものなのです。

だからこそ、卒業後の進路もさまざまです。森林・環境教育に携わる人、地域づくりに関わる人、行政や企業で働く人、自ら事業を起こす人もいます。一見すると、まったく違う仕事をしているように見えます。けれど、卒業生たちの歩みをたどってみると、そこには一つの共通点が見えてきます。

それは ― 自然と人をつなぐこと。

既にある職業に自分を当てはめるのではなく、森や自然を起点に、自分は何ができるのかを考える。地域や社会が抱える課題と向き合い、自分が持っている経験や専門性を組み合わせながら、新しい仕事や役割をつくっていく。― 森林環境教育専攻は、そんな「まだ名前がない森の仕事」をつくる人たちを社会に送り出してきたのかもしれません。

2025年1月、新たに掲げた「森林アカデミービジョン2040」(PDF)では、持続可能な社会の実現に向けて、社会課題の解決を「森林から考える」人材を、<FbS人材(Forest based Solution)>として育てていくことを目指しています。

では、森林から課題にアプローチし、社会の中で実践する人とは、どんな人なのでしょうか?その答えを、卒業生のインタビューから読み解いてみる特集、それが「まだ名前のない森のしごとをつくる人」です。

第1回は、24期生(※)上田博文(うえだ・ひろふみ)さん。アカデミーでは、学生や教員から親しみを込めて「うえぽん」と呼ばれていました。 (※:2024年4月入学・2026年3月卒業)

造園、森林、地域、暮らし。これまで培ってきたものをつなぎ直しながら、岐阜県郡上市石徹白(いとしろ)で、「風景をつくる人」として新たな一歩を踏み出した上田さんの歩みを追います。


同級生のおかげで、自分の過去を見つめ直せた。
だから「風景をつくる人」への道を歩み始めた。

上田博文さん(24期生)

改修した古民家の石を据える上田博文さん

 

峠の向こう、人口200人の里へ

岐阜県郡上市、福井県との県境に位置する石徹白(いとしろ)。

郡上市の中心地から車で1時間、峠を越えて行き着く人口約200人の小さな里です。冬になれば、集落は積雪2mを超える雪に覆われます。

決して、暮らすのに便利な場所ではない石徹白ですが、ここでは全戸出資による小水力発電や、子育て世代の移住促進など、20年以上にわたって住民主体の地域づくり活動が続けられてきました。その成果もあり、地域には少しずつ移住者が増えています。

かつて児童数が4名まで減った小学校もV字回復し、現在は16名の児童が通います。保育園にも7名の子どもたち。人口200人ほどの山里に、子どもたちの声が響いています。

そんな石徹白に、2026年4月、一人の森林文化アカデミー卒業生がやってきました。

深い峠を超えて、全国から人が集まる石徹白(いとしろ)

上田さんが新たな仕事の場として選んだのは、NPO法人やすらぎの里いとしろ。都市部の企業による社会貢献活動を地域につなぐプロジェクトマネージャーとして採用され、「未来の水を守る森づくり」をはじめとする活動に携わっています。

けれど、2年前の上田さんは、石徹白で働くことも、こうした仕事に就くことも、まだ思い描いてはいませんでした。

むしろ、森林文化アカデミーに入学した彼が最初に決めていたのは、まったく反対のことでした。

「何もしない。」

市役所職員として森林行政に携わり、造園の技術を持ち、樹木医の資格も持っていた上田さんは、なぜ40代の最後に仕事を離れ、森林環境教育専攻へやってきたのでしょうか。

そして、「何もしない」と決めたアカデミーでの2年間で何が起き、そして、なぜ彼はこの小さな山里へと導かれていったのでしょうか。入学から卒業まで、上田さんにふり返ってもらいました。

 

「何もしない」から始まった、立ち止まるための入学

1年生のときの授業の様子

なぜ森林文化アカデミーに入学しようと思ったのか?あらためて聞くと、上田さんからはこんな答えが返ってきました。

「立ち止まろうと思ったから」

人生の大きな節目を経験した上田さんは、「学校に入る」という選択をした。そのとき、いろいろな悩みがあったに違いありません。

「でも、実際に入学してからは、“何もしません”って宣言していました。入学した当時、とても辛い時期でした。あそこでまた何かをするということを続けてたら、途中で学校も辞めていたと思います」

クリエーター科は、社会人経験をした後入学する人がほとんど。しかし、きちんと社会人をしてきたからこそ、学生になることを選択しても「ちゃんと学ばないと」「少しでも多くのことを身に着けないと」と焦る気持ちが膨らみます。

教員としては、新入生、特に”大人の学生”には、入学時に「きちんと学生になる」ことを強く勧めています。大きな覚悟をしてせっかく学生になったからこそ、きちんと立ち止まり、学生として新しい人生を歩みだす準備をしてほしいからです。上田さんの「大人の学生生活」は、ちゃんと立ち止まることからスタートしました。

「何もしないという選択を、周りがちゃんと受け入れてくれました。授業では、子どもたちと遊ぶとか、キャンプの運営とか、いろいろな場所を見学に行くとか。自分がこれまでやってきたことと全く違うことで、時間を過ごしていきました。森林環境教育専攻は、今まで触れてこなかったところを体験させてもらえる場所だったので、よかったのかな、と思います」

こどもキャンプの実習など様々な体験型授業が行われる

”何もしない”と決めて学生生活を始めた上田さんでしたが、同期や仲間と共に過ごす中で、徐々に変化をしていったといいます。

「同期は20代、30代の若い人たちが多かったので、彼らを見ていて気づくことや学ぶことがたくさんありました。自分たちの世代とは違う価値観に触れるということは、自分にとってすごく良かったです」

年代もバラバラ、入学した目的もそれまでのキャリアもバラバラ。卒業した後の目標ももちろん違う仲間と学び合う日々を過ごします。だからこそ、当初は想定していなかった学びや気付きが生まれたと上田さんは言います。

「あらためて思うと、自分が立ち止まる時間、立ち止まれる場所が欲しかったんです。そういうところは、現代の社会では準備されていなくて。無職を貫くということはまだできなかったですが、学校に入るという選択をすることで、世間では「リスキリング(学び直し)」というイメージも持ってもらえるのかな、と思っていました」

上田さんの同期(24期)の仲間たちと

 

自分を取り戻していく”学生”という時間

「何もしない」と決め入学した上田さんでしたが、アカデミーで仲間とすごす学生生活の中で、上田さんの止まっていた時間が、再び少しずつ動き始めていきます。

「結局自分の時間を作れたっていうことで、1年生の年末年始は学内のパーマカルチャーをテーマにつくり始めたフィールドで、一人で石を摘んでいました。ひたすら石を積んだ時間 ーー それは、誰かにやれと言われてやったものではない。誰かのためにやった時間でもない。ただひたすら、自分が納得するまで石を積むことに向き合った時間なんです。お正月も積んでいましたね。当時は学生がヤギを飼っていたから、その横で。運んできて、並べて、摘んで ・・・ 300個ぐらい石を積みました。学生になって、そういう時間もあったのは、すごく良かったな、と」

学内のフィールドに上田さんが一人でつくった石積み

1年生の時、一番自分に向き合った時間は、一人で黙々と石を摘んでいたこの時間だったと、上田さんはふり返ります。同時に、「里山キャンパスプロジェクト実習」で毎回はじめに行われる「チェックイン」も、上田さんに少しずつ変化をもたらしていきました。

「これまで、自分の気持を出すということはなかったんです、社会人として。目の前の課題に常に立ち向かってきたので、自分の弱いところを見せるということは、あまり経験がなかった。家族にも言うことがなかった。でも、チェックインでは、仲間で互いに気持ちを聞いたり、自分の気持を出す時間でした。だから、とても新鮮だったんです。」

実習「里山キャンパス」のチェックイン。一人ひとりの言葉を共有する大切な時間

 

過去を「失敗」ではなく、自分の経験として見つめ直す

「里山キャンパス」のチェックインでは、学生も教員もフラットに、本音を出し合います。様々なバックグラウンドを抱える学生同士も、同じ立場になれる、上司・部下の関係ではない会話ができると、上田さんは言います。そして自分の時間を取り戻す中で、上田さんは過去のことを仲間に話せるようになっていきました。

「これまでの人生で、自分にはスキルや経験がたまたまあったのですが、1年生のときには、周りにそれを伝えるつもりは全くなかったんです。でも2年生になって、課題研究に向き合う中で自分のモードが変わりました。これまでやってきたこと、経験を話せばいいんだ、と」

上田さんの技術や経験を知り、木造建築の同級生からは、学生が作る自力建設の現場での、樹木の移植や芝生の育成についての指導を頼まれました。

「自分のこれまでやってきたことは、途中で終えたもので、自分の中では失敗だ、みたいな感覚がありました。でもある時から、自分の活動が載っている過去の雑誌など、こんなことしてきたという、実績や成果みたいなものを周りに出し始めたんです。モードが変わったのは、それがきっかけになったのでは、と同級生に言われました。過去と向き合うみたいなことに、一つのきっかけがあった。それまでは、前しか向いていなかったので、過去に向き合わなかった。後ろを向くときは反省しかない、と思っていたんです」

自身の経験を活かして、木造建築の学生に樹木の移植を指導する上田さん(写真左)

 

動くから生まれた、地域と人との出会い

立ち止まっていい、何もしなくていい、本音を言っていい、そして自身の過去と向き合っていい ーー 入学時には期待していなかった気付きにより、2年生になる春、上田さんは自ら取り組む「課題研究」をスタートさせます。

「1年生の冬にやっていたことが結構早くに成果が出たというか、課題研究に早く取りかかれました。2年生になる前、3月くらいから小川(郡上市明宝)に行き始めて、フィールドの調査とか、人に会ったりとかということを始めました。2年生の夏には、現在住んでいる石徹白に通い始めます」

授業で行った小川地区では、小水力発電に取り組み始めていました。そのつながりで、小水力発電をすでに始めていた石徹白にリサーチに行ったことが、その後の上田さんの活動につながっていきました。

「研究の比較検討のため石徹白の平野彰秀(ひらの・あきひで)さんを訪ねました。その時、石徹白法品店の平野馨生里(ひらの・かおり)さんが新しく「助七(すけしち)」という一棟貸しの宿を始めるためにリニューアル工事中で、その外構をできる人を探しているということを聞きました。現地を見て、是非設計させてくださいとお話しました」

上田さんは石徹白という土地から「石と白」をテーマに、デザインを描きます。平野夫妻に採用され、「助七」の庭造りが始まります。現場を重機で掘ると、昔の人の石積みが現れたそうです。それを丁寧に掘り出し、新たに据えていきます。

作業中は、アカデミーの仲間が次々と石徹白を訪れ、上田さんの指導のもとで石を積んでいきました。作業を通して石徹白の人々との交流が深まる中で、今の仕事に誘われます。

「ざっくりいうと「ご縁」なのだけど、必然のタイミングのような気もしています。気がつけば、石徹白に移住することになっていました」

アカデミー生も参加したゲストハウスの石積み

こうして卒業後の進路も決まった上田さん。卒業に向けいよいよ「課題研究」の仕上げです。

上田さんの研究のタイトルは「幸せな森の風景をつくる - 森林美学から考える、人と森と暮らしをつなげる道(エトス)-」です。「森林美学」は19世紀にドイツで提唱され、明治時代に近代化を目指す日本でも研究されましたが、木材を合理的に生産するための森林経営政策の中で、次第に忘れ去られていったそうです。

「テーマとなった「森林美学」は、造園をやっていた頃から、長い間ずっと自分の中にあった宿題みたいなものでした。気にはなっていたけど、必ずしもいいものじゃないぞ、という気持ちでした。1年生から口にはしていましたが、2年生の秋くらいまではずっとどうかな、と思っていたんです」

「学生なので時間は確保できたので、石徹白で庭をつくりながら、調べることを始めました。もともと興味のあった本を読んだり、資料もかなり調べました。林業の学校なので、県の図書館にも無かった古い本がアカデミーにはちゃんとあって、楽しかったです」

完成したゲストハウス「助七」の美しい石畳

 

学生だからできる ― 好きなだけ寄り道をする

上田さんの研究のアプローチは、目標を設定して、逆算して最も効率の良い道筋を探すことと真逆のプロセスでした。

「贅沢な時間でした。ショートカットしようと思えばできたけど、そこを全く意識していなかったから、好きなだけ寄り道をしました。研究をしているとき、結果は想定していなかったです。だから専攻内で途中の発表をしたとき、その場しのぎの資料をつくっていかなかった。これまでの自分の仕事ではありえなかったことをした。これは、自分の中での革命でした」

学生になり、自分自身の研究に没頭する上田さん。もがきながら、苦しみながら、学生として自分に課した使命を全うしていきます。重い腰を上げて調べ始めてみると、これまでの上田さんのやってきたこと、考えてきたこと、そして過去の歴史や今ある森林に関する課題が、いろいろと繋がっていったそうです。

そこから、森と人のこれからの関係づくりについての新たな道(エトス)が導かれました。これまでの日本の歴史や世界の兆候を網羅し、新しく携わる石徹白でのプロジェクトでも軸となる観点を示すことができる構想を研究の中で示すことに結実しました。上田さんの研究は、新たな雇用主となった平野彰秀さんにも副査として評価いただきました。

こうして研究を書き上げ、卒業を間近に控えた課題研究の公表会では、共に苦楽を共にした仲間たち、そして平野さんの前で、研究結果と共にこれからの上田さんの生き方についてもしっかりと宣言していました。

卒業式にて、上田さん(右)と涌井学長(その左)。2026年3月

 

 「風景をつくる人」という生き方

卒業から半年経ち、あらためて目指したい姿についてこう述べていました。

「森に関わるなら、林業すればいいんじゃないって言われるのですが、それは違うと思っていて。一方で、ランドスケープアーキテクトというのがあります」

ランドスケープアーキテクトは、都市設計をするときに、建築家や都市計画を手がける人と同列にいる職種だそうです。上田さんは、農村でもこの職種が必要だが、都会のそれとは違うと言います。

「農村風景 ーー こういう風景を人が居続けるようにどうしようかって考えているのは、もうまさにランドスケープアーキテクトのやっていることだなって思っています。田畑を耕したりとか、木を伐ったりとか、作物作ったりとか。でもそれらを仕事ではなく、普通の暮らしの中でする人がいてもいいんじゃないかって思っています。でも、それを誰も分かってくれなくて」

一見すると、ただ暮らしているだけに見えるこうした人々の営みが、現代の私たちが美しいと感じる農村風景をつくってきました。しかし、それは現代の定義する「職業」ではないかもしれません。

石徹白に森をつくる作業をする上田さん

日々の暮らしが作り出す景観をつくろうとしているとすると、それはつまり、石徹白に住み続ける「土の人」になるということでしょうか。

「地域に住みながら風景をつくる人もいるけど、自分は多分定住はしない。いろいろなところで、風景をつくる人になりたい、と思っているんです。昔のお坊さん、最澄とか空海(※)も、多分そんな人なんですよ。あの人たちは思想家でもあり、宗教家でもあり、都市計画家でもあるわけですよ。で、いろんな土地に行って、「こここうしたらいいんじゃない」「ここ井戸出るよ」とか、「ここにお寺作ったらみんな人集まるよね」。「道をこう通したら、あそこの街道と繋がるからいいんじゃない」とか。おそらくそんなことを言って回っていたと思うんです」

※平安時代に、日本の仏教文化を開いた僧侶。僧侶は、仏教にまつわる学問の他、薬や土木工学など多様な知識を持ち、教育と同時に技術指導もできる者だった。

最後に上田さんに、どうすれば風景をつくる人 ー ランドスケープアーキテクトができる人になれるのか、聞いてみました。

「それはやっぱり、手仕事から始めるしかないと思ってます。手仕事で、石を据えたり、木を伐ったり。手仕事ってのはハウツーじゃなくて身体知から始める。それは誰でも身体の中に存在してるから。やっぱり、石を積むって、すごくいい。基本は一人で積みます。まずは石を選る(選り分ける)ところからです。それは畑をやっていて出てきた石を貯めておいて、冬になったら積む。山村の暮らしは、シームレスにつながっている。そういう動きの中から、風景が立ち上がってくるんです」

石徹白で森づくり活動をする仲間たちと

産業化、効率化が進む中で仕事が分断され、専門家が特化していった近代。いつのまにか、様々なことを専門家しかやってはいけない、という風になっていったと上田さんは指摘します。だから、そこの揺り戻しっていうのも必要で、ものづくりの意識を復活させたいと、上田さんは語りました。

「理解されないところの根底というのは、「その道を極めるところにゴールがある」と思ってる人たちに、どのように伝えていくのか、ということでしょうか。正解を求める社会で、ここが一番難しいのかなって思います」

<その道を極めること>自体が、悪いわけではありません。ただ、それが「お金が儲かるか」「仕事として効率がいいか」という価値だけで語られるようになると、少し違うのではないか? 上田さんはそう問いかけている気がします。

ー 石を積むこと、木を伐ること。田畑を耕すこと。
ー 人と関わること。地域で暮らすこと。

それぞれを別々の”専門的な職業”として切り分けるのではなく、もう一度それらを自分たちの手に取り戻していきたい。そうしたものをもう一度つなぎ直しながら、その土地に人が暮らし続けられる風景をつくっていく ― それは専門家が担うのではなく、住む人が一人ひとり技を身に付け、時には共同しながら行われてきた、かつて日本のどこにもあった一連の人の営みでした。

振り返れば、上田さんのアカデミーでの2年間も、そんな時間だったのかもしれません。一度立ち止まり、「何もしない」と決める。それまで大切にしてきた成果や評価をいったん手放し、石を積み、仲間と対話し、自分の過去と向き合い、好きなだけ研究に寄り道する。人生のほんのひとときを「学生」として過ごした上田さんは、卒業するときにはもう、自分がこれから歩む先、そして歩み方に迷いは無くなっていました。

上田さんは再び自分の道を探究しようとしています。それは、一つの技術を身に付けること、すなわち今ある「職業」で呼ばれることではありません。森や田畑、石や建物、人の暮らし、その土地に積み重なってきた時間までをつなぎながら、美しい風景を次の世代へ残していく、そんな生き方を身に付けようとしているのです。

上田さんは、それを「ランドスケープアーキテクト」、つまり「風景をつくる人」と表現します。けれど、上田さんの言葉からは、既存の職業としてのランドスケープアーキテクトとも少し違うのでは、という感じもします。もしかすると、上田さんのいう「風景をつくる人」もまた、私たちが定義できていない「まだ名前のない森のしごと」なのかもしれません。

森林環境教育専攻の卒業生たちを訪ねてみると、職業の名前を定義するのが難しい人は、上田さん以外にもたくさんいます。共通するのは、森や自然と人との間に立ち、考え、悩み、自分なりの方法で、森と人、そして過去と未来をつなごうとしている姿が見えてくるのです。

彼らは森林文化アカデミーで、そして森林環境教育専攻で何を学び、どのように自分の仕事や生き方へとつなげていったのでしょうか。

次回も、一人の卒業生の人生から、「まだ名前のない森の職業をつくる人」を紐解いていきます。

<2026年9月作成>
写真提供:上田博文さん
文責: 森林環境教育専攻 教員 小林謙一(こばけん)