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2018年07月19日(木)

木工事例調査 ⑥加子母裏木曽国有林

中津川市のご協力のもと、木工事例調査のプログラムの一環として「裏木曽古事の森」(加子母裏木曽国有林)をご案内いただきました。

今でも「裏木曽古事の森」は、「木曽ヒノキ備林(神宮備林)」として、700年前から伊勢神宮の式年遷宮の際に使われる御神木を育てている神聖な国有林として管理されています。 過去には姫路城の昭和の大修理で「運命の木」と呼ばれる西大柱として、最近では、名古屋城の本丸御殿の御用材として利用されています。まさしく、歴史的木造建築物の修復に置いて欠かす事ができない大切な場所こそが「裏木曽古事の森」と言うことができます。この「古事の森」を裏木曽活用ガイドの牧野義則さん、前川信孝さんに案内していただき見学することができました。

 

 山を守る護山(もりやま)神社

まず、入山の前に「護山神社」を訪れました。護山神社については、

「1838年(天保9年)江戸城・西の丸が焼失し、再建のため裏木曽・木曽山中より御用材を大量伐採した。伐採当初より山中で山鳴り・山火事等の怪奇現象が続出し、江戸城・大奥にまで怪奇現象が発生した。数々の怪奇現象は山神の祟りによるものとした江戸幕府は、即刻伐採した全ての切株に注連縄を張り巡らし、山神慰藉の祭典を執り行わせた。1840年(天保11年)奥社が創建され、さらに1843年(天保14年)に本社が創建された。奥社・本社創建に関わる現場の指揮と、創建後の神社経営は、木曽山林を管轄する尾張藩に託された」

とあります。(出典:wikipedia)

創設されてた歴史的経緯からしても、この地域の山や林業と深くかかわりのある神社であることがわかります。現在も護山神社の御祭神は木曽山林の総鎮守で、この日入山する前、アカデミーの学生と教員、中津川市の方含め、神聖な森に入るにあたり安全祈願をして参りました。

 

伐採からはじまる式年遷宮

次に向かったのは、次の式年遷宮で使われる木材を切り出した斧入れ式跡です。このあたりの森はヒノキやサワラなどの針葉樹と、広葉樹が入り混じったような森。この中で、式年遷宮のとき使われる木材はいわゆる木曽ヒノキと呼ばれている材です。(ちなみに、国有林に自生する樹齢が300~400年のヒノキをとくに木曽ヒノキと呼んでいるようです)

2013(平成25)年の式年遷宮に使用された御神木の三ツ緒伐りの株

特徴的なのは一般の伐採と違い、この伐採も神事の一つとして行われていることです。 式年遷宮で使われるヒノキ材については三ッ緒伐り(みつおきり)という方法で伐採が行われています。この切り出し方は三内丸山遺跡でも同様の切り方がされているという由緒正しい切り方とのことでした。その切り方はまずは三ヶ所に切り込みを入れ、木を支えていた2点を切り倒す事で残りの1点の反対方向に倒れるそうです。倒すために熟練の技が必要で、常に訓練されているとのことでした。 このようにすることによって、

1、芯抜けを防ぐことができる
2、正確に倒木方向を決定できる

という利点があるようです。そして、伐採された木の切り株には、鳥総立て(とぶさたて)を行います。 切り出したヒノキの切り株に小枝を立てて木の霊を慰め、山の神に感謝するという意味があります。 この儀式は、万葉集にも記述がある由緒正しい儀式であり、昔の人はそれだけ山と向き合い、畏敬の念を感じていた事が示されているのではないでしょうか。

鳥総立て

式年遷宮で使用される柱は、内宮、外宮の芯柱2本を近年この森から伐採してきましたが、興味深いのが内宮、外宮の順番で、倒木したときの形が「人」の字になるように切り倒すと言うことです。このような説明を聞くと、人が建物を建てるという行為がすでに、神と交わる重要な意味を持っているということがつたわってきます。

 

樹木のふしぎ「合体木」

ヒノキとサワラの合体木

木の種類が異なるヒノキとサワラが上下で合体して1本の木になっているという不思議な木です。 樹齢は推定560年とも言わています。ヒノキの部分とサワラの部分は樹皮の違いによってかろうじて見分けがつきますが、もともとがかなりよく似た木。説明されなければきっと見過ごしてしまいそうでした。この合体木がどのようにしてできたのかは分からないところもあるようですが、合体木自体はところどころで見かけることもあるそうです。動くことができない巨大な植物の不思議を感じる瞬間でした。

 

森の主、大ヒノキ

そして、次に向かうは昭和55年に発見された大ヒノキ。
なんと樹齢は1000年とも言われ、直径154cmもある立派なものです。この日、大ヒノキを見学するため森の深くに移動をしていくと、霧が立ち込め、幻想的な風景が展開していきました。雑木林の中は目いっぱい枝を広げたトチノキの大木が森の主の貫禄を誇示し、ヒノキやサワラの大木が空間を縦に斬ります。

大ヒノキ

さらに、その中を歩いていくと霧が晴れ、目の前には大きなヒノキが姿をあらわしました。 平安時代からその場所にあるヒノキは立派にそびえ立っていました。 斑鳩の法隆寺は樹齢1000年のヒノキを使って建てられているといいますが、いままで飛鳥の時代にはそのような大木があったと聞かされても、なんとなく実感できなかったのが、こういった木を使って建てられたのだと考えると、山から木を伐採し、運び出し、塔が建てられていくことがどれだけ壮大な活動であっただろうかと想像が膨らみます。

 

「高樽の滝」へ

落差21mもある滝の、その水量の豊富さ、落ちる水の力強さ、水が注がれている川の透明度に目を惹かれます。静かな森の中のから突然現れたこの力強い滝の動きは、森が蓄えたエネルギーを一気にここで噴出しているようでもありました。

普段であれば入ることができない国有林という場所で、古来から行われていた人と森との関わりを見ることができる大変貴重な機会となりました。案内をしていただいた中津川市の林業振興課の桂川利也さん、内木宏人さん、裏木曽活用ガイドの牧野さん、前川さん、貴重な体験の機会を与えていただきありがとうございました。

左から裏木曽活用ガイドの前川信孝さん、牧野義則さん、中津川市林業振興課長の桂川利也さん

森と木のクリエーター科 木工専攻一同

文責: 児玉直樹(1年)、宮崎晋(2年)