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2021年08月04日(水)

木工事例調査①「護山神社」中津川市連携事業

今年も連携協定を結んでいる中津川市の林業振興課にご協力頂き、中津川市の木材産業を巡る木工事例調査を実施しました。中津川市は木曽ヒノキや東濃ヒノキで知られる木材の一大生産地であると同時に、全国でも有数の木工が盛んな地域です。
学生達の目線から報告するレポート第1弾は、裏木曽の山の入り口「護山神社(もりやまじんじゃ)」です。

●護山神社
木工事例調査の最初に訪れたのは、付知の護山神社の里宮です。そこでは裏木曽古事の森ウォーキングツアーガイドの前川さんに説明をしていただきました。

護山神社は名前の通り、山を護る神社として、主神に山の神、木の神、草の神をまつり、山や木を生業とする人々の守護神として存在してきました。
護山神社創建のきっかけとなったのは、1833年に起きた江戸城の火事でした。その後、再建のために大量の木材が必要になり、井出之小路山(いでのこうじやま)で大量の伐採が行われました。しかし、当時は伊勢神宮用の材以外の伐木が禁じられていたそうです。伐採開始と同時に、山火事や病気の蔓延などが起こり、江戸幕府はそれらを山神の祟りと考えました。そして、それらを鎮めるために1840年には護山神社の奥宮が井出之小路山中に創建され、1843年には人々が参拝しやすいように付知村に里宮が創建されました。創建には二万両の費用がかかり、全てを幕府が負担したそうです。井出之小路山は古くから国を挙げて護られてきた山で、人々から大切にされてきたことが感じられました。

護山神社境内

護山神社里宮外観と前川さん

●井出之小路の木曽大ヒノキの標本
護山神社には大きなヒノキの輪切りの標本が展示されています。この輪切りの標本は井出之小路の木曽大ヒノキと呼ばれる樹齢約950年の大檜でかつては御神木とされていました。
しかし昭和9年の室戸台風により折れてしまい、学術資料として伐採したものが輪切りで展示されています。
現在は樹齢約1000年の大木曽ヒノキが二代目大ヒノキとして国有林の中に大切に保存されています。
初代大ヒノキは1本で日本家屋が1.5軒建つというお話を聞き、とても驚きました。

護山神社境内

木曽大ヒノキの標本

護山神社境内

大ヒノキの標本拡大

●三ツ緒伐(みつおぎり)
井出之小路の木曽大ヒノキは三ツ緒伐という伐採方法を使用しました。三ツ緒伐というものは神社など神様に納めるなど貴重な木に関してはノコギリやチェーンソーで切ることなく、斧のみを用いて、真ん中を空洞に木の支点が三つ残されている状態を作り一つの蔓を切り、伐倒させるもので、芯抜け(木の芯が裂けてしまうこと)を防止し、木を余すことなく使える伝統的な技法だそうです。
この技法を行うには3人一組で交代しながら木を切るため、1本の木を切るのに12人必要になるそうです。またその技法をする方の高齢化に伴い、人手不足が深刻化しているようです。このような素晴らしい技術を後世に残していきたいと感じました。

護山神社境内

三ツ緒伐

●終わりに
井出之小路山は古くから国を挙げて護られてきた山であったことが分かりました。現在は、毎年行われる例祭や、20年ごとに行われる御神木祭によってその精神や技術が受け継がれています。古くから受け継がれる知識は、長い時間をかけて変化していく山の未来を見据えているものでした。その昔の人が目指した未来の山に現在の山は近づけているのか、また受け継がれてきた技術は未来にどんな影響を与えてきたのか興味深く思いました。そして今、私たちは未来の山をどうしたくて何をしていくべきなのか考えが深まりました。
(木工専攻一年奥田)

護山神社の由来、国有林内等の案内をしていただいた前川さん、今井さんお時間をとっていただき、ありがとうございました。
大木曽檜の標本、二代目大木曽檜、国有林の美しい木々を見て自然の素晴らしさを感じ、長い時間の中で人と森が培ってきた生活を学ぶことができました。
貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
(木工専攻一年白瀧)