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2026年03月31日(火)

人が還流する島 ― 教育魅力化が生む地域の力(隠岐島前スタディツアーレポート第2回目)

<2025.6.14〜6.17> クリエーター科・森林環境教育専攻2年の授業「教育のまちづくり」の授業で、島根県隠岐諸島の島前地域を訪れました。

前回に続き、スタディツアーのレポート第2弾です。


<海士町・2日目(6/16)>

2日目は、高校の教育魅力化から発展してきた。島前の「教育魅力化」とその「仕組み」を学びます。

教育魅力化を推し進める様々な事業について、(一財)島前ふるさと魅力化財団の3名から具体的な取り組みをお聞きしました。

海士町「親子島留学」

最初にお話をしてくださったのは、浅井恵美(あさい・めぐみ)さん。名古屋出身の浅井さんは、同じ東海圏の岐阜から来た私たちを温かく迎えてくださいました

浅井さんは、2016年に島に移住。現在は教育魅力化事業における小中事業のリーダー、そして海士中学校の教育コーディネーターを担います。財団の職員ですが、所属は海士町教育委員会とのこと。民間事業帯と教育機関との連携がとてもスムーズなことがうかがえます。

海士町の教育コーディネーター、浅井さん

高校から始まった魅力化は、現在は”教育”という言葉を強調したプロジェクト名になりました

「存続から魅力化へ」 ―― 高校から始まった魅力化は、小中学校、そして地域全体へと広がり、「島まるごと学校」へとつながっていきました。
2017年から始まった海士町の「親子島留学」は、小学生の子どもと保護者が一定期間島に滞在し、地域の学校に通いながら暮らす制度です。

最初は『親子留学って何?』というアレルギー(拒絶反応)から始まりましたが、今では『来てほしい』と歓迎されるようになった。そういうチャレンジができるのは、地域としてすごい変化だと思います

浅井さんのお話からは、学校とつながるコーディネーターとしての苦労も忍ばれます。

最初は教育コーディネーターについて、学校側で何をする人か分からなかった。だから『親子留学のコーディネーターです』といって現場に入っていきました。活動を通して徐々に小学校、中学校の先生とのつながりを深めていきました。心がけたのは、学校に”たまにいる人”にならないようにしたことです

浅井さんをはじめ、様々なコーディネーターがつながりを一つ一つ構築していき、3島全体で幅広い世代に向けた「留学」が実現しました。

個人的に嬉しかったのは … うちの娘が中学のとき、クラスで女子一人だったのですが、留学で女の子が入ってきた。彼女とは大親友になって、島を離れた今でも交換日記をしているようです

「親子島留学」のスタートから8年。もともと狙っていたことが起き始めた、浅井さんはそう語りました。

島前の教育魅力化構想「はじまりの書」を説明する浅野さんと原さん

知夫里島島留学

続いてお話をしてくださったのは、米倉未佳(よねくら・みか)さん。
2024年に移住した米倉さん。それまでは山村留学で有名な、長野県の「グリーンウッド」で専任スタッフをされていました。

「大人の島留学」を活用して海士町へ。海士小学校に勤務後、移住2年目となる今年度(2025)から、知夫村教育委員会のコーディネーターとして、「知夫里島島留学」に携わっています。

知夫里の島留学を紹介する米倉美佳さん

知夫里島は人口600人ほどの小さな島です。知夫村の島留学では、子どもだけで来島し、共同生活をします。

知夫里の島留学で大切にしていることは、「大人も子どもも全員楽しむ」こと。そ
れを表す3つのキーワードが、「ブルブル(感動)」「だんだん(感謝)」「ランラン(楽しむ)」です。

運営側が子どもたちとはじめに交わすのが「100の約束」。島を舞台に「自分らしく楽しむ」ために、子どもたちがやりたいことを計画を含めてできる、そんな1年を一緒につくっていくことを米倉さんたちは大事にしているそうです。

子どもたちは元集会場を改装した寮で共同生活をします。島での暮らしは、掃除や洗濯など「自分のことは自分でやる」のが基本。そんな子どもたちに寄り添うのが、知夫村が雇用した地域おこし協力隊員の「ハウスマスター」。子どもたちの生活を見守りながら、寮の暮らしを一緒につくっているそうです。

食事も自分たちでつくりますが、週に一度、地域の方に夕食をつくってもらうとのこと。地元の旬の食事がいただけると同時に、家族以外の大人が食事をつくってくれるという経験を通して、感謝の心を育んでいます。

知夫小中学校の全校生徒は33名。中学生9名のうち、5名が島留学生です。
少人数の学校では、外の子どもが混ざることで、地元の子どもたちにも刺激が生まれます。

中学生の総合学習で『知夫を知る』時間がありますが、都会から来た子どもたちの『牛がそこにいるって何?』『え、スーパーないの?』という何気ない発言が、地元の子に『これって普通じゃないんだ』と気づかせてくれる。大人が関わらなくとも、子ども同士の会話の中で自然に”新しい視点が生まれている光景”は、素敵だなと思います

小さな島、小さな学校だから、子どもたちは地域と深く関わりながら学んでいきます。
知夫里島に来る子どもたちへの願いを、米倉さんはこう語ります。

愛し、愛され、人生を楽しめる人になってほしいです

米倉さん(右)に質問する岐阜大の板倉先生

大人の島留学

3人目にお話をしてくださったのは、近藤弘志(こんどう・ひろし)さん。地元出身で、隠岐島前高校を卒業した後、関東へ。
2021年にUターンしてきました。

還流事業「大人の島留学」を手がける近藤弘志さん

近藤さんは現在、流事業部の共創デザインチームで「大人の島留学」を手がけています。
「大人の島留学」は3ヶ月から1年、島前に働きながら暮らすことができる制度です。

この事業ができたのは、近藤さんが島に戻る少し前の2019年。そのきっかけは「高校魅力化10周年」を迎えて卒業生が集まった際、期待していたほど島に戻ってくるUターン者が増えていない現実に直面したことでした。

高校の魅力化は、開始から10年で500名の卒業生を生み出すことに成功しました。一方、卒業生が帰ってこない。
卒業生へのヒアリングから、その理由として「情報の少なさ」や「関係の希薄化」が浮き彫りになったそうです。

特に優秀だった卒業生ほど、地元の人から「お前はまだ早い」「都会で修行してこい」と言われるとのこと。この期待値がプレッシャーとなり、同級生の間で「自分も何か言われるのではないか」という不安が生じ、結果として帰りづらい空気が生まれていました。

島は「若い人に来てほしい」と言いながら、無意識に「来るな(まだ早い)」というメッセージを同時に発信してしまっていたと、近藤さんは言います。

そこで、これまでの教育魅力化だけでは解決できない、島の「その先」を作るために、財団は新たな動きを開始しました。

高校の卒業生が一人だけが戻ってくると、注目が集まりすぎてプレッシャーになる。だから、100人、200人と大量に受け入れることで、「若者の希少性」を緩和し、入りやすい土壌をつくる ーー こうして生まれたのが「大人の島留学」です。

「大人の島留学」の仕組みができたのは、コロナ禍の2020年7月。<2週間で計画を作り、決済を取る>という異例のスピードで発足しました。このタイミングは、大学生が自粛でオンライン授業が余儀なくされている時期を狙ったもの。大学に行けない大学生にピンポイントで声をかけ、

今、暇だよね。授業がオンラインだったら、島で受けられるよね?

と誘い込んだそうです。
こうしてスタートした「大人の島留学」の制度に乗って、近藤さんもUターンしてきました。

東京へ行く学生も、一生そこに住むつもりで行くわけではないんです。だから同じように、”滞在人口”を島に確保しようと考えました。『まずは3ヶ月から1年間住んでみませんか』とハードルを下げる。定住はあくまでも結果で、「大人の島留学」では、そこを目指さないようにしています

事業開始から4年半で480名が来島。2022年からは海士町以外の2島にも事業が広がりました。来る人も学生から社会人、そして海外からと、層の初観も増しています。

島前地域の人口は2,300人。「大人の島留学」で来る人は、年200名にも上ります。
人口の10%に近い留学生が毎年来る … 大量の「ヨソモノ」が滞留することで、地元の意識にも変化が現れました。

以前は移住者に対して「お前は何年いるんだ(長くいない者は認めない)」という雰囲気だったそうです。
ところが今では、3ヶ月予定だった留学生が滞在を1年に延ばすだけで「よく残った!」と喜ばれるようになってきました。
すると、これまでの先輩移住者への態度も「もう3年もいてくれてるのか」と変わっていきました。

一方、大量の人を受け入れるのは、そのマネジメントもとても大変だろうと想像します。
「大人の島留学」の運営は、正規スタッフが10〜13名。そこに島留学生自身も運営側に入ります。

留学生は、来島前の面談で「やりたいこと以上に、求められていることに応える姿勢が必要」というマインドセットが徹底されるとのことです。
そのうえで来島した若者たちは、当事者意識を強く持って島の様々な業務を手がけています。

最後に、近藤さんはこれからの希望をこう語っていました。

若者が外からどんどん来ることで、新しい未来が島で作れるのではないか。そんな期待感があります

 

海士町に入港する船から望む、高台に建つ隠岐島前高校

隠岐島前高校

午後は、いよいよ魅力化の発祥の地、隠岐島前高校を訪れました。
学内に入り、1年生の「夢探究」(総合的な探究の時間)を見学させてもらいました。
教室は視聴覚室を改装したおしゃれな「共創実践室Atodo」です。

この日は、地域のインタビュー冊子「しあわせ図鑑」の編集について、グループに分かれて作業を進めていました。授業中なので静かに見学していたのですが、生徒のみなさんは私たち大人に気さくに声をかけてくれます。

視聴覚室を改装した「共創実践室Atodo」の入口

授業の見学を終え、廊下に出てたときに、ふと校長室の前に掲げられた額縁が目に入りました。
それは、島に赴任した校長先生が書かれたものでした。

校長一人で悩まない、地域と共に考える学校経営

そこに続く内容からも、高校と島が一体となって取り組む魅力化、それを実現するための「学校経営」の姿を垣間見ることができました。

ー 校長をサポートする「特命副校長」制度があることが心強い
ー 自分を開いて、外の知見や人材をうまく活用することを。教員自身が子どもたちに示していかなければならない

 

高校の廊下に掲示されている「校長一人で悩まない」のメッセージ

コーディネーターはチームで取り組む

海士町でのスタディツアーもいよいよ最後のセクションです。
2日間をふりかえり、原さんとのセッションを隠岐島前高校の図書室で行いました。

・高校生が探究学習に行くとき、対象者は誰が決める?
・探究学習の評価は難しいが、どのようにする?
・島に赴任される教員のフォローや研修は?
・探究学習が「這い回る経験主義」にならないための工夫は?
・教育活動における教員とコーディネーターの棲み分けは?
・数値化しにくい教育の成果を、対外的にどう示してるか?

・・・などなど、私たちの様々な質問は尽きません。
原さんは1時間にわたり、一つひとつ丁寧に答えてくださいました。

隠岐島前高校の図書室で行われたふりかえり

その中で私がどうしても聞きたかったこと。それは、原さんが考える「コーディネーターの理想像」です。
これまでのコーディネーターの変遷をふりかえりながら、原さんはこう答えました。

一人のスーパーコーディネーターがいても上手くいきません。突破する人、整える人、拾う人といった、様々な個性を持った人同士で”チーム”になる必要があります。チームで動けることが、教育コーディネーターには大切です

人口が少なく、かつお金がない地方では、一人の専従スタッフを配置することも困難です。
一方、島前ふるさと財団は、スタッフ総勢40名以上のチームで取り組んでいます。

岩本悠さん(※約20年前に魅力化プロジェクトを立ち上げた中心的メンバー)を海士町に引っ張ってきたとき、山内前町長は『ゆうくんを独りにしてはいけない』と周りに言っていた。海士町では、最初からチームをつくってプロジェクトをスタートさせました 。そこから<チームで動く>という文化が、今も続いています。一人を活かすために、誰を組み合わせるかという発想を常に持っています

「コーディネーターはチームで動く」と語る原さん

教育やまちづくりは一過性ではなく、何年も続きます。特別な能力を持った一人が担うことは、地域にとって持続的ではありません。
多様な人々がチームをつくって取り組むことで、それぞれの特性を補完し合えます。だからこそ新たな発想も生まれ、これまでにないチャレンジも生まれるのではないでしょうか。

チームが大事という考えの上で、一緒に働きたいコーディネーター像について、原さんはこう答えました。

組織の中で<一定の違和感と異物感>を持ち続ける。コーディネーターは、先生方とは違う視点を表現し、変化を作り出してなんぼだと思っています。手堅く行く人より、今までの前提をガラッと変えてくれる、そんな『イノベーター・破壊者』と一緒に働きたいですね

こうして2日間に渡った海士町での見聞が終わりました。
隠岐島前高校から帰る坂を下りながら、とても不思議な気持ちになっていました。

教育コーディネーターや地域プロデューサーという言葉は、まだまだ一般的ではないように思えます。
そんな特別な人々が、ここでは数十人もいる。しかもチームをつくって活動している。
出会った大人も高校生も、みんなキラキラしている・・・。

海士町で見聞きしたもの、それは私たちの住んでいる世界とは全く違う「異世界」のものだったのではないだろうか?
ーー そんな衝撃が消えぬまま、翌日は本土に帰る船の上に私たちはいました。


スタディツアーの活動報告は、次回、いよいよ最終回です。
4日間の学びを振り返りながら、私たちが実現したい「人が育つまち」とは何かを考えます。

<森林環境教育専攻 こばけん>