高知林大との合同改修設計ワークショップ2025(前編)
11月26日から30日にかけての5日間、高知県高岡郡梼原町で既存住宅改修のためのワークショップを行いました。高知県立林業大学校(以下、高知林大)の方々と合同で行いました。参加者の一人である私、千々和の視点から、5日間の様子をお届けしたいと思います。
梼原町ってどんなところ?
梼原町は四国カルストに抱かれた自然豊かな山間部に位置する、人口3千人の小さな町です。かつては土佐と伊予をつなぐ街道の通る町としても栄えました。森林が町面積の91%を占めており、林業が基幹産業になっています。
また気象庁のデータによると、2024年の年間降水量は約2600㎜、年平均気温14.8℃、最高37.7℃、最低-4.5℃です。特に冬は積雪が多い地域です。
今回の空き家改修の提案は、人口減少が進む梼原町への移住者向けのものです。
11月26日
朝5時に美濃を出発し、車に乗り合わせて高知まで向かいます。片道570㎞、7時間の道のりです。
休憩をはさみながら、15時に梼原町役場に到着し、高知林大の学生や先生と合流しました。その後梼原町役場の職員と移住コーディネーターの方に、今回の改修設計の対象となる物件の案内をしていただきました。
物件の概要
梼原の市街地から車で15分ほど。山々の間に流れる川に沿うようにして形成された集落のなかに、今回の物件はありました。斜面に沿って築かれた棚田や畑など、自然と共存した景観が広がっています。

(石垣の上に今回の物件は建てられていました)

(大変立派な門)

(南側からの外観)

(東側からの外観。東側の縁側からの眺望が美しかったです)

(四万十川の支流を挟み、コンクリート工場がありました)

(既存平面図)
工事予算845万円で、家族連れの移住者向けの設計をしてほしいとのことでした。
築45年の木造平屋建てです。
新しく家を建てるのではなく、既存住宅の改修。この家の良さはなんだろうか。逆に、改善できるところはどんなところだろうか。新築の設計の時にはない視点で、目の前の建物を捉え、改修に向けて考える必要があり、そこに面白さがあるといいます。
その後、グループ分けを行いました。5人ずつ3チームに分かれ、改修設計案のアイデアを出し合いました。森林文化アカデミーと高知林大の学生は初対面ですが、チームとして連携を取りながら設計を進めていきます。
27日
午前中に、梼原町立図書館(雲の上の図書館)、まちの駅「ゆすはら」、ゆすはら座など、梼原町内の建築物を見て回りました。またプレゼン後に数人で、雲の上のギャラリーも見に行きました。図書館やまちの駅「ゆすはら」、雲の上のギャラリーは隈研吾の設計した建築物です。木や自然素材を斬新に使った、印象に残る建物でした。

(梼原町立図書館(雲の上の図書館))

(YURURIゆすはら)

(まちの駅「ゆすはら」)

(ゆすはら座)
見物を終えた後、改修する物件へとふたたび出向き、耐震・温熱・劣化等の性能の現状について実地調査を行いました。
温熱性能の調査では、外壁の開口部の寸法や位置をはじめ、すべての部屋の壁・床・天井の材質や厚みなどを事細かに調べました。これにより、どこが温熱性能的に弱点になっているのかを判断することができます。

(開口部の大きさ・位置をプロットしていきました)
耐震性能の調査では、耐力壁の位置や材質、垂れ壁の高さ等を図面に落としながら確認したり、シュミットハンマーで基礎を叩き、基礎の耐力の調査を行います。また、柱の傾き加減の調査も行い、躯体の問題点を総合的に洗い出しました。
(耐震診断組は小原先生に指導を受けながら調査を進めました)

(シュミットハンマーを用いた、基礎の劣化状態の調査)
バリアフリー性の調査では、寝室、浴室、便所といった、生活するうえでバリアフリー性が特に重要な部屋の広さや、階段の形状、手すりの設置の有無などを調査します。また、火災時の安全性の調査では、火を扱う箇所の天井や壁の材質が問題ないか、火災報知器や消火器が適切に備えられているかを確認します。また劣化診断では、構造材に腐食がないか、床の傾きはないかなどを確認しました。

(天井裏の小屋組みを調べたり、)

(床下の状況を調べたり。ありとあらゆる箇所を徹底的に見ていきます。)
調査を終えると、宿に戻ってチームごとに案を練り始めます。私が所属したCチームではまずアイデア出しからはじめました。40分間という制限時間を設け、その間にチームメンバーそれぞれがラフな図面を描き、その後見せあう、という手法です。森林文化アカデミーでは設計の授業でよく用いるやり方です。
アイデア出しを通して、
・西側の眺望や採光を活かしたい。
・歓待のための土間スペースを広く取りたい。
・プライベートエリアとの緩やかなゾーニングも行いたい。
などを目的とした間取りが良いのではないかということがなんとなく見えてきました。
10時頃までグループワークをしてこの日は解散しました。
(後編につづく)