フリーターから、木のおもちゃ作家、そして先生へ。

前野 健(木工専攻)

 

先生をしながら、木のおもちゃ作家として今も年間3つ以上、おもちゃのデザインをしている前野先生。実はいろんな寄り道をして、木のおもちゃにたどりついたのだそう。どんな道をたどって、木工を自分の仕事としたのか。そこにはどんな出会いや大変なことがあったのか。前野先生にじっくり聞いてみました!

 

20歳、木工の世界へ飛びこむ…が。

——そもそも、なんで木工を学ぼうと思われたんですか?

前野:もともとは、中学校を卒業したあと、5年間の専門学校で建築を勉強していました。でも4年生のとき、将来建築業界で就職しても、大きな組織の歯車になって、出来上がる建物はすごく大きいんだけど、その中に自分の仕事ってどこにあるんだろうと考え始めてしまって。ちょうどその頃、家具をデザインする授業があったんです。段ボールを縦横に格子状に組み合わせて、人が上に乗ってもつぶれないようにイスを作る授業でした。でもぼくが作りたかったデザインは、段ボールだと作れなかったんです。それで、結局すごい妥協したものを作ったんですよ。「これ木だったら作れたのにな」ってすごいもやもやして。突きつめていくと、あのときのイスをちゃんと形にしたかった、というのが木工に足をつっこんだきっかけですね。あとは、建築は自分が設計しても、造るのは他の業者さんになるので、自分が思ったカタチをそのまま作ることはできないよな。でも家具だったら自分で設計して、自分の思った通りのものが作れるだろうと。今考えると、家具もチームプレーはあるので、ちょっと違うんですけどね。当時は自分の思った通りのものが作れるってところから、じゃあおれは木工作家になるんだ!と決めて、専門学校を20歳で卒業したあと、岐阜県高山市の「森林たくみ塾」で、2年間木工の勉強をしました。

 

 

前野:森林たくみ塾は、例えばイス30脚を決められた納期の間に、決められたクオリティで完成させるっていうのを、2年間毎日やり続けるんです。これは結構ハードでしたね。でも、技術はすごい身に付くんです。数をたくさんこなすってやっぱり重要で、1年ちょっとくらいで結構な家具は作れるぞって、勘違いするくらいにはなれるんですよ。それで、2年間木工の勉強をして、木工の技術に関しては市販されているのと同じくらいのクオリティのものは自分で作れるっていう自信は得られましたね。でも、家具を作ることにちょっと飽きちゃったんですよ。例えば、どこかのメーカーに勤めて家具職人としてやっていく。安定はしていると思うんですけど、2年間もイス50脚、ペン立て1000個っていう日常をやっていると、残りの人生あと40年これやるの?って言われたら、違うなと。当時は、世の中は不景気で、フリーターでもいいんだよって時代だったので、ぼくもたくみ塾を卒業した後に、フリーターをやっていました。

 

フリーター、木のおもちゃ作家になる。

 

 

——フリーターから、おもちゃづくりをするきっかけってなんだったんですか?

前野:2、3年フリーターをやっていて、このままだと人生やばいぞってわかってきたんです。いつまでも引っ越し屋でバイトしているわけにもいかんだろうと。当時はまだ不景気だったから、新卒でもない、フリーターの就職先なんて無いわけですよ。それで、ふと振り返ると、木工の技術はプロとして通用するだけのものは持っている。じゃあ木工で起業しよう。必要としている人に喜んでもらえるモノを作ろう。その方がやり甲斐あるだろうと。すごく短絡的ですよね。そのときは、自分で決めたことだから、自分がつらくても自分で責任を持てばいいって思っていたし、あと両親がそれを許容してくれたことが大きかったかな。それで、起業を決めたときに、日本中の木工家の作品が展示されるイベントに行ったんです。そこでいろんな家具を見るじゃないですか。ここで戦うのか…と思うわけですよ。すごい先輩方がすごいクオリティのものを作っていて、でも食べていくのは大変だよってみんな言っている。そう考えたときに、この人たちと同じところでお客の取り合いをしても勝てないよなって。それで、木で作るモノで、その当時競争相手の少ないところってどこだろうと探したときに、作家の作る木のおもちゃにたどりついたんです。当時の日本の木工作家が作る木のおもちゃって、やたらおしゃれだけど、あかちゃんこれ持ったら手痛いだろとか、こんなでかいのどう持つんだ、どう遊ぶんだとか、片手間で作ってるものが多かった。だからこそ駆け出しでも本気で作ったら戦えるんじゃないかって気がして。もともと、たくみ塾では子どもキャンプで木工を教える実習があったんです。それがすごくおもしろかったので、卒業後もフリーターしながら野外活動団体の子どもキャンプにスタッフとして参加していました。子ども相手にプログラムを企画するのも楽しかったし、子どもとかそのまわりの大人たちが喜んでくれるようなかわいい木のものを作る方がおもしろいと思ったので、そこで勝負しようと。当時はホームページを個人で簡単に作れる時代になってきたところで、小さなビジネスを立ち上げやすかった。タイミングがいろいろ重なって、おもちゃ作家としてやっていこうとなったかんじですね。

 

 

前野:でも最初はなんでも屋でしたよ。お寺の賽銭箱も作ったし、保育園のおもちゃを入れる棚も作ったし、まったく仕事がない時期もたくさんありました。そういうときは、ただただ貧乏に耐える。起業してからは、アルバイトは基本的にしないと決めていたので。立ち上げたときは多少貯金もあったけど、でもあっという間になくなるからお金って。びっくりするよ!そんなお金も仕事もない時期に来たのが、お世話になっている人たちのベビーブームだったんです。当時27歳とかかな。それで、出産祝いを贈りたいじゃないですか。お金はないけど、工房に帰ると木はある。よし、じゃあ、木のおもちゃを作ろうって決めて、このガラガラの原型になったのを作ったんです。(写真1)結構、喜んでもらえたんですよ。おもちゃを本格的に作ったのはそれが最初です。

 

写真1/初めて作ったおもちゃ製品のがらがら

 

前野:仕事がない時期が続いていたので、じゃあ、うちの定番品のおもちゃを作ろうと。こういう小物って一個二個作っても全然もうからなくて、数をまとめて作らないといけない、まとめて販売しないといけない。そこで100個くらいを効率よく作れるように考えて、見た目もかわいくなるように作りなおしたのが、これなんです。(写真1)このおもちゃを持って、いろんな絵本屋さんや木のおもちゃ屋さんに営業したんだけど、そのとき間に入ってくれる問屋さんがあって、そこの人が東京の日本橋の三越にこれ置きたいんだけどって、繋いでくれたんです。そのかわり掛け率(売上)低かったよ〜。あははは!でも、まず信用がほしかった。百貨店っていうのはある程度実績があり、安全で信用できるものしか置いてくれないので、百貨店に置いてある=信用になる。それで、百貨店に置いてもらえたことで、他のおもちゃ作家さんから「一緒に展示会をやらない?」とか声かけてもらえるようになったんです。あと、年に1回、市販されているおもちゃの中から良いおもちゃを選ぶ「グッド・トイ選定」っていうのがあるんですけど、それに選ばれたんです。そうやって少しずつおもちゃの作り手として認知されるようになりました。ビジネスを立ち上げたときは自信も持てなかったから、いろんな寄り道しながら、言われるままにいろんなものを作って、良いとか悪いとか言われながら、はじかれはじかれして、最終的に落ち着いたのがここだったって感じ。

 

愛媛県新居浜市から依頼をされてデザインしたヒノキのおもちゃ 「銅山(やま)のつみき」

 

——木のおもちゃ業界ってどんどん変わっていっているんですか?

前野:今は、おもちゃ自体ですごくビジネスに成功している人たちが出てきて、さらに木育(※)ブーム、スギやヒノキなどの地元の木材を活用しようブームが起きたので、いろんな人がおもちゃ作るようになったんです。デザイン性の高いものを作るところもあれば、今までは捨てていた木材を活用しようとかいろいろ立ち位置は違うんですけど、今はけっこう競争が激しくなっている気がします。これは(写真1)ヨーロッパのブナの木で作っているんですけど、ぼくも昔は全部ブナの木で作っていたんです。でも途中から国産のスギ、ヒノキのおもちゃを作るようになって、木育をやっている人とか、地元の木材を使ってほしい人に求められる作り手になっていったっていう。

——国産材を使うっていうのは、自分からやろうと思ったんですか?

前野:いや、思わなかったです、全然。たまたま、地元の木材を使ってほしいと頼まれたんです。でも、頼まれてから3年くらいは作らなかったんですよ。やっぱり適材適所の考え方からすると、スギやヒノキはおもちゃにはそこまで適してはいない。木のおもちゃってちょっとでも傷がついていたら、百貨店とかでは売れないじゃないですか。ブナは硬いから、少しあたっただけでは傷つかないけど、スギやヒノキはやわらかいので致命的な傷が残っちゃうんです。そういうことを考えるとすごいリスクが高くて。スギやヒノキを使うようになったきっかけも、ビジネス的な面が強いんです。当時はおもちゃを作っている人は少なかったけれど、徐々に作り手が増えてきたら、同じものを作っている人って埋もれていってしまう。次の波に乗っていかないといけないっていうのがひとつ。あとは事業の中でどっかがダメになってもつぶれないために、新しい仕事の方向性も必要だった。ちょうどその頃、売上の一角を占めていたプロジェクトがダメになったこともあって…。現実的なんです、そこは。でも今思えば最高のタイミングでなくなったなって。それがなかったら国産材を使うのは遅れたし、そんなに深いことができなかったと思う。

※木育—「木とふれあい、木に学び、木と生きる」ことを通じて、「人と、木や森との関わりを主体的に考えられる豊かな心を育む」活動のこと。

 

「おもちゃをビジネスにするやつ、最低だと思う」

 

岐阜県のスギを使ったおもちゃ(奥)、ウッドスタートプロジェクトで開発したおもちゃ。ゆずをモチーフにしている(手前)

 

——森林文化アカデミーに来られて、ここすごいなと思ったことはありますか?

前野:今でも笑い話として人に話すんだけど、アカデミーに赴任して一週間も経たない頃かな。ある先生とはじめて会ったときに、「おもちゃ作ってるんだってね。おれおもちゃってすごい大好き。アートだし。でも、ビジネスにするやつ最低だと思う」って言われたんです。

——えっ!!?

前野:それを言われた後に、「ビジネスにならないおもちゃなんて作る価値ないですよ」って返したんだったかな。そのとき感じたのは不快感じゃなくて、「あーそういう考えの人もいますね、ははは」って適当に済ませてもいいんだけど、でもここは自分の考えとか軸を、見えるようにバンって出さなきゃいけない場所なんだなって思ったんです。そういう意味でいろんな価値観の人たちが一緒にいる場所。あと、いろんな価値感があるんだけど、つぶしきらない程度にお互いが敬意を払っていて、それを受け入れている場所。だから、「ビジネスにするやつ最低だ」って話をされたときに、自分はそれまでおもちゃをビジネスの道具としてしか見ていなかったんだけど、アートとか教育とかっていう視点で、すごく注意しておもちゃを見たり考えたりするようになったんです。それは日本人にすごく欠けている視点だったんですよね。教育現場の人たちは、おもちゃを使い勝手がいいとか子どもにいい影響があるとかそういう視点で見ていて、突きつめていくと、ただの道具の話になっている。見た目とか、感触とか、アート的な視点がどんどんなくなっていく。おもちゃの見方がすごくせまいんだよね。でもアカデミーってそうじゃなくて、全然意見の違う人たちがひとつの学校の中にいる。ときに一緒になったり批判したりしながら、学ぶ環境を作っていて、そこをいいなあって思っています。

 

 

前野:実は、自分のことを自信を持っておもちゃのデザイナーですって言えるようになったのは、アカデミーに来てからなんですよ。それまではビジネスのアイテムとしておもちゃを見ていただけなので、深く語れなかったんです。でもアカデミーに来て、いろんな価値観と出会って、子どもから見てとか、福祉の業界から見てとか、アートの側面からとか、道具として見たらこうだっていうことも話せるようになった。それができるようになってはじめて、おもちゃのデザイナーですって言えるようになった。フリーターだったちゃらちゃらした若いのが、いきなり教員っていう乱暴な流れがあったんだけど、いろんな人との付き合いの中で育ててもらって、自分はやっと先生になれたかなって思っています。

 

 

——なにか野望ってありますか?

前野:今、社会の仕組みのなかで国産材のスギ、ヒノキがうまく使われていないんですけど、それをデザインの力でうまく使っていく仕組みを作りたいんです。それはおもちゃかもしれないし、家具かもしれない。今はおもちゃ以外にも、スギ、ヒノキでイスを作るのをやっていて、家具っていう木工のメインストリームでもちゃんと国産材を使う。ストーリーとしても、ビジネスとしても成立するものをちゃんと提案したいなと思っています。作家さんが作る、めちゃくちゃきれいなイスじゃなくて、どこでも見るよねっていう国産材のイスを作りたい。

——まだそこは開拓されていない分野?

前野:だと思う。今も国産のスギ、ヒノキのイスはあるけど、作家さんの作った高級品なので、一般には普及していない。それを仕組みからちゃんと考えて、誰でも作れるものができればいいかなと思っています。未だに家具作家の土俵では戦いたくないんですよ。やっぱり自分には技術がないから。でも、技術に依存すると人依存になっちゃうから、要はその人じゃなきゃ作れない。それはいいことでもあるし、悪いことでもあって、もっと全国に普及させたいときは、誰でも作れる技術、誰でも使えてどこでも手に入る材料でできるっていうのが大事かなと思っています。

 

 

——今後、アカデミーへ入学する人や、森に関わる仕事をはじめる人に向けて、メッセージをお願いします!

前野:日本の森って、世界でも珍しいくらいたくさんの木の種類があるんです。でも、今、モノ作りで使われている木ってごく一部の種類だけ。まわりを見渡せばこんなに色々な木があるのに、木が無いって言って輸入してる。そこには色んな理屈があるんだけど、もっとシンプルに当たり前に「身近な日本の木」を使ったモノ作りを、面白いアイデアで提案してくれる人が増えたら良いなって思う。実はそれって、今の社会でも求められていることだから。

インタビュアー 齋藤智比呂(森と木のクリエーター科 林業専攻)

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