アカデミー教員インタビュー

技術を伝えて、人を育てる。

池戸 秀隆(林業専攻)

教員インタビュー池戸秀隆先生

今年度でアカデミーを退職される林業専攻の池戸先生は、長年岐阜県の林業普及指導員として、林業技術の普及や人材の育成に携わってきました。子どもの頃は山や川で思いっきり遊び、大学時代は弓道に打ち込んだ池戸先生の人生をじっくり聞いてみました!

 

山と川であそんだ子ども時代

 

――どんな幼少期だったんですか?

池戸:僕は岐阜県の郡上八幡で生まれ育ったんですけど、家のすぐ裏に川が流れていたので、夏になるとよく泳ぎに行きました。水中眼鏡を持って1キロくらい川上へ歩いて行って、そこからドボンと川に入るんですよ。ずーっと泳ぎながら川を下っていくと、アユやウグイやアマゴがぱっぱっと目の前を横切っていくんですよ。そういうのを見るのが非常におもしろかった。河原では一年中遊んでいました。流木と河原に生えているヤナギで骨組みを作って、アシを抜いてきて屋根にして、よく秘密基地を作っていましたね。あと、川の水深が深いところは、その両側が砂浜になっているので砂遊びができたんです。そこで遊ぶのが好きでした。

 

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池戸:秋の運動会が終わる頃になると、みんなで山に栗ひろいに行きました。栗ひろいは、先輩について行きながら、いろいろ教えてもらったんです。まずは栗ひろいに行く山の道。これを知らないと迷っちゃうので、とにかくその道を覚えました。あと、栗の葉っぱを知らないと、遠くから「あそこに行けば拾える」ってわからないでしょ。だから栗の葉っぱだけは覚えました。山栗だから小粒なんですけど、実が黄色いのは甘くておいしい。実が灰色っぽくて、噛んだときにぐにゅってなるのは、虫が入っていておいしくない。たいてい落ちたクリには虫が入っているんです。だから、木になっている栗で、なんとか取れそうなのを取っていました。冬は雪が結構積もるので、山に行って朝から晩までソリですべって遊んでいましたね。それはすごく楽しかった。

 

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――子どもの頃の経験から、山や木に興味を持ったんですか?

池戸:そうですね。両親が製材所を営んでいたので、小さい頃から木はすごく身近な存在だったし、自然が好きだったんです。毎日山や川で遊んでいたし、今で言う「ダーウィンが来た!」みたいな生き物や自然が出てくるテレビ番組を、父親と一緒によく見ていたんですよね。その影響もあったかもしれない。高校生のとき「西暦2000年の地球」という本を読んだんです。そこには、温暖化で気候が変動し、海面上昇や食糧危機で深刻な環境になることが予測され書かれていました。その解決策として、森林の適正管理が重要だという提案がされていたんです。そこから森林に興味を持って、高知大学の農学部林学科に進学しました。

 

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アカデミーでの授業の様子。下刈りの授業の集合写真。

 

池戸:大学では弓道部に入ったんです。かなり練習量の多い弓道部で、僕はそこにどっぷりつかっちゃいました。大学生活の後半は、弓道部の師範の家に住み込んで、ごはんを食べさせてもらいながら、師範が経営している薬局でアルバイトもしていました。薬局のアルバイトと弓道ばっかりやっていた大学生活でしたね。だから勉強は全然していなかったんです。大学3年生のときに、国の林業試験場の四国試場から、学生をひとり受け入れますよって話しがあって、おもしろそうだと思って行くことにしたんです。その時間だけはさすがに勉強をしました。「今回の学生は出来が悪い」って言われたらだめだなと思って。

 

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アカデミーでの授業の様子。下刈りの授業中の池戸先生。

 

――試験場ではどんなことを研究されていたんですか?

池戸:品質のいい木を育てるために、生育の悪い木やかたちの悪い木を間引いていくことを間伐って言うんですけど、その頃、四国試場で研究して奨励しようとしていた間伐は、曲がった木や生育の悪い木を間伐するのと同時に、ある程度太くて品質のよい木を間伐してお金に換える。間伐で収入を得ることで、林業事業体の経営も安定してくる。そういう間伐の方法を研究していました。

 

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――大学卒業後は、どんなところに就職しようと考えていたんですか?

池戸:実家の製材所を継ぐつもりはなかったんですけど、大学卒業後は岐阜に帰るって決めていました。でも、弓道と薬局のバイトばっかりしていて、就職活動はほとんどしていなかったんです。大学4年生のときに、岐阜県職員の採用試験を受けたんですけど、落ちちゃったんですよ。だから大学を卒業して岐阜に帰ってきて、4月から試験勉強をはじめて、もう一回県職員の採用試験を受けました。合格したときは、ああよかった~って思いましたね。

 

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林業を普及する仕事にのめり込む

 

――就職して、最初はどこに配属されたんですか?

池戸:大学を卒業して4月に実家に帰ったら、5月にもらい火で実家が全焼したんです。勉強しようと思って買った問題集と本と車のカギだけ持って逃げたんですけど、あとは着の身着のままで全部燃えてしまった。県職員は、最初は地元には派遣されないんですけど、生活を安定させたほうがいいって配慮があったんじゃないかな。僕のスタートは地元の郡上でした。林政部の中に、国が推奨している林業技術や育成方法を、県内の林業事業体に普及していく「林業普及指導員」っていうセクションがあるんです。郡上地域は、八幡、大和、白鳥、美並、高鷲、明宝、和良に分かれているんですけど、僕は八幡と和良の普及指導員になりました。

 

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アカデミーでの授業の様子。演習林での架線集材の実習の前に、レプリカを使って説明をしている。

 

――普及指導員は希望されたんですか?

池戸:たしか、林業普及指導員の資格を持っていることが受験資格に入っていたんじゃないかな。林業普及指導員は国家資格なんですけど、大学から取っておきなさいって指導があったので、取得していたんです。それで県職員に採用されたので、普及指導員をやってくださいって言われました。普及指導員としては、例えば木を植えるとこのくらいのお金が国や県から助成されますよっていう補助金関係と、林業機械などの技術的な普及指導の両方をやっていました。最初はなんの知識もなかったから、本当に勉強しながらやっていましたね。

 

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アカデミーでの授業の様子。演習林の中で架線集材の実習をしている。

 

――普及指導員をやっていて、うれしかったことや大変だったことはなんですか?

池戸:研修に来てくれた人から、働いている林業事業体でやってみたらこんな成果が得られましたとか、資格が取れましたとか、研修に出てよかったって言ってもらえたときは、すごくやりがいを感じたし、うれしかったですね。でも、例えばこういう植え方をやってみませんかって推奨するんだけど、場所によってはシカに食べられたり、大雪や台風の被害にあったりして枯れてしまうこともあるんですよ。そういうときのために保険はかけているんですけど、でもせっかく植えたのに残念な気持ちはあるし、「あんたが言ったようにやったのに枯れたじゃないか」って怒られたら、責任は感じますよね。僕らが普及をしていた技術や方法は、林政部の中にそれぞれプロがいるし、財源や資材は県全体のものが使える。僕らの手に負えなかったら、県全体の普及指導員を束ねている部署があるので、そういうところに相談することもできる。だから人の手を借りれば、自分だけではできない大きな仕事ができる。それはいいところだと思います。

 

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アカデミーでの授業の様子。演習林の中で架線集材の実習をしている。

 

――ずっと林業普及指導員のお仕事をされていたんですか?

池戸:いや。林業と直接関係のない県庁の企画課や土木部に出向したこともあったし、山林事務所では荒廃した森林にダムや土留めを設計して、管理する治山工事を行っていたこともあります。アカデミーの前身である林業短期大学校に転勤になり、はじめて教育に携わりました。普及指導員をしながら学生に講義もしていたんだけど、なぜかそのときに林業機械の技術普及をやってくれって言われて、そこからずーっと機械が専門。岐阜県の普及指導員全体をまとめるポジションに8年いて、その後、アカデミーの教員になりました。アカデミーでも林業機械の使い方や、ワイヤーを使って遠くの山から木を下ろしてくる架線集材を教えていました。僕の37年の県職員生活は、ざっと30%がアカデミーの教育に関わって、70%が普及指導に携わっていたり、いろんなところに行ったりしていました。

 

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アカデミーでの授業の様子。

 

これからは、自分の山であそびたい!

――先生は小さい頃から自然が身近にあったと伺いましたが、今でもそうですか?

池戸:家に帰ったら必ず川には出ますね。さすがに遊ぶことはなくなったんですけど。例えば、2月の終わりになると、ネコヤナギの芽が出てきて、春を感じた思い出があるので、その時期になると芽吹いているかなあ、取りに行きたいなあって気持ちになりますね。春はオオイヌノフグリのかわいい水色の花が咲いたり、ヤマブキが咲いたり、スイセンが咲いたり、そういうのを見るのが楽しみなんです。僕は菜の花の強烈な黄色を見ると元気をもらえるので、毎年菜の花のお花見をしています。

 

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――これから山や自然の中でやってみたいことはありますか?

池戸:郡上人なので、アユ釣りはやってみたいなと思います。それと、僕も父親が持っていた山を引き継いだんです。父親にはだいたいこのへんだよって教えてもらっていたんですけど、いつか行けるだろうと思っていたら、結局連れて行ってもらえなかったんですよ。引き継いだ後に、土地の境界の確認に立ち合ったんですけど、前にGPSを使って土地の境はだいたいこのへんにあるってことは押さえていたし、父親が地図を描いてくれていたんです。地図って言っても、ここに大きな石があって、ここに大尾根があってっていう、宝の地図みたいな絵なんですけど、でもだいたいわかった(笑)。これからはその自分の山で、チェーンソーで木を伐って、伐った木を乾かして、バーベキューの燃料にしたいなと思っています。それを家族みんなで取りに行ったら、山がどこにあるか覚えてもらえるし、楽しいし、そんなことができたらいいなと思っていますね。

 

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アカデミー内にある研修棟の前で撮影。池戸先生が普及指導員時代からよく利用していた思い出深い建物。

 

――――アカデミーに入学したい人、森に関わる仕事をはじめたい人に向けて、メッセージをお願いします!

池戸:森林文化アカデミーは、林業だけじゃなく、生産した木の流通や製材、木を使う側の木造建築や木工、人と森をつなげる環境教育と、幅広いことが学べる。さらに専門分野の先生が18人も常勤でいるんです。興味があれば専攻以外のことも横断的に学ぶことができる。エンジニア科でも、子どもキャンプに参加して森林環境教育のことを勉強したり、自力建設に関連して建築のことを勉強したり、グリーンウッドワークのクラブ活動で木工を学んだりすることができる。僕自身、木工や木造建築専攻から、規格外の寸法の木を提供してほしいって依頼されて、演習林から伐り出してくることもある。木造建築の先生に「伐採するときに裂けやすい木は事故につながりやすいので、そういう樹種に共通した特徴はないですか?」って聞いて、アドバイスをもらうこともある。横のつながりを作りながら学べるのは大きいですね。敷地の中に演習林があって、現地現物主義で学ぶってことが、アカデミーの大事な根っこになっているので、自分の目で見て、現場を感じながら学んでもらいたいなと思います!

 

インタビュアー 酒井 浩美(森と木のクリエーター科 森林環境教育専攻)

 

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