アカデミー教員インタビュー

手を動かせるクリエーター仲間を求めて

松井 匠(木造建築専攻)

教員インタビュー松井匠先生

 

家族全員クリエーターの家に生まれ育ち、自分自身も美大で絵を学んだ松井先生。建築家の父と向き合うために、木造建築の世界へと飛び込んだ松井先生の人生と、これからの野望をじっくり聞いてみました!

 

子どもの頃は、変なやつ枠だった

 

――どんな少年時代でしたか?

松井:東京の中野と練馬で育ったんですけど、うちは家族全員クリエーターなんですよ。祖父は脚本家、母は日本画を出た図工の先生、父は建築家。サラリーマンがひとりもいない家で育っていて、だから絵を描くとか、劇を見るとか、音楽を聞くとか、そういうのが当たり前にある家でした。そのせいか、俺はインドアな気質に育ちましたね。でも、冬は母がスキーに連れて行ってくれたんです。長野県の鹿島槍ってところに行っていたんですけど、寒すぎて幼稚園のときはがたがた震えながら山小屋に泊まりました。スキーはおもしろかったけど、山や自然はとにかく厳しいものだというイメージを持っていましたね。いまだにキャンプをしたことがないアカデミー教員って俺だけじゃないかな(笑)。

 

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――絵は小さい頃から描いていたんですか?

松井:そうですね。自分の子どもにもやっているんですけど、鉛筆とか色鉛筆とか紙がいつも置いてあって、いつでも絵が描ける状態が作ってあったんです。なので、暇さえあればずっと描いていました。公園に行っても、ずっと地面に絵を描いていましたね。ただ、絵を描くのは好きだったんですけど、別にうまいわけじゃなかった。大人になってから、小さい頃の自分の絵を見ても、うまいとは思わないですね。描くのは好きだったし、漫画を読みまくっていたので、小学生のときの夢は漫画家でした。でも中学生になったら絵を描かなくなって、そのときは将来絵をやりたいとは思ってなかったですね。

 

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――高校のときは、どんなことに興味があったんですか?

松井:高校のときはパンクバンドを組んでいました。中3くらいから音楽がおもしろいと思って、ギターをはじめたんですよ。バンドは全人類一度はやったほうがいいと思う。めちゃくちゃおもしろいし、いろいろ勉強になるから。あとね、バンドのメンバーのひとりが、洒落にならないくらいギターがうまかったんです。その人は今、ピアニストをしているんですけど、その人に会って、何かの表現行為に打ち込むと、こういうクオリティまでいけるんだって思いました。

 

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19歳のときに描いた馬頭のデッサン

 

 

松井:クラスって派閥がありますよね。運動が得意でピラミッドの頂点みたいな人たちと、オタク。それとは別に不良がいるんだけど、俺はどこにでも呼ばれる変なやつ枠だったの。小学校から高校までずっとそうだった。オタクの友達もすごく仲良くしてくれるし、不良の人も「たくみ、授業さぼってコンビニ行こうぜ」って誘ってくれるし。高校のとき、俺はタバコを吸わないのに、吸ってる連中と一緒にいるところを先生に見つかって、謹慎になったことがあるんですよ。喫煙同席謹慎。教員に「何でお前は喫煙を止めなかったんだ」って言われて「タバコ吸ってないのに俺が謹慎なのおかしいでしょ」って反論したんですけど、謹慎になりました(笑)。そういう変な位置にいましたね。

 

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多摩美術大学時代の松井先生。

 

 

――大学進学のときは、進路をどうやって決めたんですか?

松井:絵を描いてない時期もあったんですけど、それでも絵は自分の中の大きな軸だったんですよね。あるとき、どう転ぶかわからないけど、一度絵に関しては徹底的にやっておこうと思ったんです。仕事として何をやるのか、何になるのはわからないんだけど、でも自分は何かを作っていくんだな、表現して生きていくんだなって思っていました。それで美大を受けようと思って、美大受験の予備校に入ったあたりから、人生がおかしくなってきた。変な人にばっかり会うし、やけに気が合うし(笑)。美大受験の予備校にいる人って、みんなクリエーター気質なんですよ。やっぱりそういう人と馬が合うんだと思う。

 

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多摩美術大学時代の松井先生。友達の個展の手伝いをしている。

 

 

 

「父」を知るために、建築の道へ

 

――絵から建築へ方向転換したきっかけってなんですか?

松井:父が建築家なんですけど、子どもの頃から父のやっていることがわからなかったんですよ。朝早くいなくなって、土日も仕事でいなくて、図面を引いているのは知っているけど、何をやっているのかずっとわからなかった。よくわからないけど非常にくせの強い父親なんです。それで大学4年の夏くらいに「バイトでもなんでもいいからうちの事務所に入れ」って父から電話がかかってきたんです。身内に自分の仕事を教えたかったみたいなんですけど、そのとき、一度父の仕事や父自身と徹底して向き合わなきゃいけないなと思ったんですよね。それで大学を卒業して、建築のことは何も知らないまま、父親の建築設計事務所に入りました。当時は、図面の引き方も知らないし、建築基準法も知らなかったです。今思えば、美大に行ったときも、父親の建築事務所に入ったときも「自分の人生でこれは徹底的にやっておかなきゃいけないよな」ってことを見つけて、それを解決しに行っているような、そんなかんじですね。

 

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――お父さんの設計事務所に就職してから、ずっと一緒に仕事されていたんですか?

松井:もうずー-っとですよ。1年のうち350日くらい、常に一緒。入ったときは俺以外にスタッフが3人いたんですけど、どんどん人数が減っていって、5年たったら、俺と父親だけになりました。結局、11年一緒に仕事をしていました。

 

――11年の中で一番の気づきとか、得たものってなんですか?

松井:入ってすぐ思いましたけど、父は社会をよくするためのゴールを設定して、そこに向かって仕事をしているんです。例えば、日本の森林を活性化させて、さらに大工の技術を継承させるために、国産の天然乾燥材を使って、昔ながらの手法で家を建てられるように設計をしているんです。でも俺は、いいものを作ればいい世界ができる確信はあるけど、社会の課題解決って視点はなかったんですよ。今でも、いいものを作ることが課題解決よりも先に来る。日本の森林をなんとかしたいから木造建築をやっているというより、木造建築の良さを突き詰めていった結果、森林や社会をよくすることにつながるんです。でも父は、先に社会課題を見つけて、そこにアプローチする意識で仕事をしていた。これはアートとデザインの違いの一端だと思うんですけど、結構衝撃でした。

 

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設計事務所時代の担当物件。

 

 

松井:あと、建築は造形的にきれいなだけではうまくいかないんですよ。アートは機能を必要としていないので、明日壊れてもそのときおもしろければいいってこともあるし、それを見た人や参加した人の中で何か起きれば成立するんです。でも、建築は10年後も建っていなくてはいけなかったり、使って誰かが怪我をしてはいけなかったり、火事に弱いのはダメだったりするんですよ。そういうのを含めると、造形美だけでは建築は「いいもの」にならない。総合的に見て、いい塩梅を狙わないと、いい建築にはならないんです。建築におけるデザインの定義をよく聞かれるんですけど、俺は「性能と意匠のいい塩梅を探すこと」って答えています。茶の湯の千利休が、庭造りは「渡り六分、景四分」と言っていたんですけど、「渡り」は実用性のことで、「景」は景観の美です。茶庭の場合は、実用性を少し強めにするべしということなんですが、建築の「渡り」は性能や機能、つまり耐震とか断熱、防火、耐久性のことで、意匠は「景」、つまり景観の美です。地震に強いけど寒い家だったらバランスが悪いし、暖かいけど地震に弱くてダサい家だったら別に住みたくない。予算と時間制限がある中で、どれか一個じゃなくて、どれもいい塩梅になる高い地点を見つけましょう。その行為を「デザイン」と呼びます。っていうのを、11年の間に学んできたかな。

 

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――アカデミーに来たきっかけってなんだったんですか?

松井:すごい物議をかもしそうだけど、建築設計事務所が小さな住宅の設計料だけでやっていくのは、ビジネスモデルとしてはむずかしいんだなって思ったんです。よっぽど家賃とか維持費がかからない状態だったらできるけど、都内の部屋を借りて、人を雇って、事務所をキープするのは無理がある。しかも、いいものにすればするほど時間がかかるし赤字になる。父は設計だけでなく、勉強会をやってみたり、みんなでチームを組んでみたり、いろんなことをやって会社を運営していますが、実感として自分が父親のあとを継いで設計事務所を経営するのは厳しいなと感じていました。11年も実務をやったくらいだから、もちろん家づくりのおもしろさも大切さも達成感もよく知っているけど、自分が設計だけで食べていくのは何か違うな…と思っていました。なんか、建築の世界と他の文化芸術の世界の間に自分がいる感覚があったんですよね。

 

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松井:かといってどうすんだって悩んでいたときに、勉強会の講師として招いていた、木造建築専攻の辻先生から「アカデミーの先生が急に辞めちゃったんだけど、匠くん一緒にやりませんか?」って声をかけてもらったんです。多分たくさん声をかけたうちのひとりだったと思う。俺は自分がやったことを自分なりにかみくだいて、人に伝えることは好きなんです。父親の事務所で、実務者向けに伝統構法や木組の家を教える講座をしていて、その講師もやっていたんです。そのときに、最短でどう教えたらこの人のスキルが上がるかなとか、いちばんわかりやすい言い方は何かなとか、どんな写真を見せたらパッてわかるかなって考えるのはおもしろかった。教員の話を聞いたときに、これはやったらおもしろいんだよな~って思いました。父に言い出せずにいたら、バイトに来ていた妹が気をきかせて父に伝えてくれて、採用試験を受ける流れになりました。2016年の年末に採用が決まり、全部引き払って岐阜に移住してきました。

 

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辻先生と共に松井先生が設計に携わったmorinos(森林総合教育センター)の外観。morinosは、アカデミーの中にある一般向けの施設。

 

 

 

自分の役割は、クリエーターの仲間を増やすこと

 

――アカデミーの事前情報ってどのくらいあったんですか?

松井:ほぼないんです。学校より先に辻先生を知っていて「辻先生がいる何かおもしろそうな学校」ってイメージでした。採用試験を受けるって決めて、初めてホームページを見たんですよ。こんな学校なんだ~って見ていたときに、教員紹介にナバさんがいたの。そのとき「あ、これはいい学校だな」って思った。あと、内定が出た後に、新宿でアカデミーがイベントがやっていたので行ってみたんです。そこにたまたまアロハシャツのナバさんが来ていたんですよ。クリエーターを育てる学校で、好きな服を着て仕事をする空気はすごく大事なので、ナバさんのおかげで安心した。クリエイティブの本質的なところがありそうな学校だなと。他にも多様な先生がいそうだし、また「変なやつ枠」になれるかも、と思いました。

 

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morinosの設計者と施工者で並んで完成を喜ぶ。

 

 

――入ってみて、どんな印象でしたか?

松井:アカデミーの学生さんは、真剣に社会の役に立ちたいって気持ちで入ってこられるじゃないですか。だからこの人たちの人生に応えなきゃと襟を正されるような気持ちになりました。改めていい学校だなって思いました。

 

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アカデミーでの「クリエーターのための美術とデッサン」の授業の様子。

 

――今は何年目ですか?

松井:6年目です。

――6年の間で、印象的だったことはなんですか?

松井:やっぱりmorinos(森林総合教育センター)が完成したのは大きな出来事ですね。辻先生と一緒に設計に関わらせてもらって、設計手法を学べたって言うのもあるんですけど、アカデミーのやりたいことと、日本の木造建築に求められているものが、全部入った建物になっているんです。そこに一緒に取り組めたのはよかったですね。あとはそうだな、クロッキー教室が続いているっていう事実が結構でかい。平日毎朝10分間絵を描いて、10分間講評する実習なんですけど、6年続いています。

 

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クロッキー教室に参加していた学生の絵。クロッキーをはじめた頃の絵(左)と、2年生後半の絵(右)。

 

――これからアカデミーで実現したいことってありますか?

松井:俺は手を動かせるクリエーターを育てたいんですよ。なので、学生さんには絵を描くとか図面を引くとか、手を動かす機会をどんどん作っていきたい。パッと手を動かして描いたり作ったりして、成果物をバンって出すことが、もっとあってもいいんじゃないかなって思う。あと、いいものに対する執着心を高めるような雰囲気を作れないかなと思っています。クロッキー教室はそういう意味では生命線かな。5分で1枚仕上げて、それを1日2枚完成させて、人に見せて意見をもらう。5分でもいいから、1日2個成果物を出すっていうのはやった方がいいし、結局クリエーターってそういうことでしかないでしょって思う。建築で毎日建物を完成させるのは無理なので、自分だけで作ったものを人に見せて意見をもらう機会は意外に少ない。そこを増やすことが「いいもの」をつくるクリエーターになるカギだと思います。いいものを目指してほしいなって思います。

 

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松井:今の日本で、今までクリエーターとして仕事をしてきた人がアカデミーに入ってきて、森林文化を実装して、また出てくっていいじゃないですか。あと、クリエイティブな仕事をやったことのない人をちゃんとしたクリエーターに変身させたいですね。俺のスキルは全部コピーできるものはしてほしいし、一緒に学びたいっていつも思っています。いいものを目指す手を動かせるクリエーターを増やして、仲間を増やしたい。俺はそういう役割かなって思っています。

 

インタビュアー 本田 佳彰(森と木のクリエーター科 林業専攻)

 

 

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