活動報告
2017年03月07日(火)

教員リレーエッセイ15:インタープリターを目指す若者へ

萩原・ナバ・裕作(森林環境教育)

 

私、ナバが活動を始めた25年前と比べると、環境教育や自然学校を取り巻く環境は随分と変わりました。当時、自然と人をつなぐひと=「インタープリター」を目指していた私は、「自然の中で遊ぶことが仕事になるわけないだろ!」「なに夢見てんだ!」とよく馬鹿にされたものです。(*インタープリターについて知りたい方はhttp://interpreter.ne.jp/?page_id=51 参照)

下: 20歳のナバ。インタープリターの活動を始めたばかりの写真。

親戚家族から猛反対されても 24時間働いても とにかく仕事が楽しかった。

ところが20歳のナバを拾ってくれたコバさん、故・小林毅氏(元・森林文化アカデミー教授)を含む大先輩たちの苦労の甲斐あって全国に自然学校やビジターセンター、そしてエコツーリズムが広がりました。また最近ではオリンピックに向けた国立公園「満喫プロジェクト」が発表され「世界水準の国立公園」を目指すとのこと!日本の自然や文化の素晴らしさを世界に発信できるインタープリターの存在が、ますます欠かせなくなってくるのではないでしょうか。

本場アメリカでは、インタープリターは、子供たちの憧れの仕事です。国立公園に行くとカッコいい制服を着て帽子をかぶったインタープリター(教育普及部門を担当するレンジャー)が多勢いて、そんな彼らを養成する専門トレーナーがいたり、技術を磨くための専門研修所もあったりします。今はまだアメリカとは雲泥の差ですが、日本もこの追い風に乗って専門トレーナーや研修施設が生まれ、各地の国立公園で世界レベルのインタープリテーションが展開される日を目指したいものです。

こうした養成カリキュラムやシステムが整備され、日本でもアメリカ並みにインタープリターが養成されていくのは嬉しい限りですが、注意しなければいけないこともあります。それは、皆が同じ型や技術だけにこだわり、同じ方向を向いてしまうこと。

「活動家」として熱い思いと独自のスタイルがあるからこそ味のあるインタープリターや自然学校スタッフが、いつしか「技術はあるが魂がない」「優秀だけど人間臭さがない」「どこ行っても同じサービス」といった症状が出てきては本末転倒です。魂のない機械のようなメッセージに一体誰が心揺さぶられるのでしょうか。

インタープリターの目的は、情報の伝達ではなく、心を揺さぶることにあるのです。

工場で短期間に大量生産できるような「製品」のような人間ではなく、手間暇かけて素材の性質を生かして工房で創られる「作品(芸術)」のようなインタープリターであって欲しいものです。魂はそうしたプロセスで生まれるからです。

では一体、魂入りのインタープリターはどのように育成したら良いのでしょうか?

インタープリターのバイブル、「Inetepreting our Heritage (1957)」の中で「インタープリテーションの6つの原則」をまとめたフリーマン・チルデンが、原則の3つ目にこう記しています。「インタープリテーションは、総合的なアートである。アートであるからには、ある程度は教えることができる」と。

つまり、伝えたいことある程度まで教えられますが、残りは「教えられないもの=アート」、つまり自分で感じ、見つけ、気づいてもらう必要があるということです。これはインタープリターの育成においても大切なことではないかと私は感じています。

そうした意味では、森林文化アカデミーは幸いにしてフリーマン・チルデンの言うところの「教えられないもの」まで学べちゃう学校なのかもしれません。アカデミーの恵まれたフィールド(敷地内演習林や森から暮らしにつながる諸施設)と、少人数制(教師と学生が1対4)、フレキシブルなカリキュラムと、県民に広く開かれたキャンパスがそれを可能にしてしまうのでしょう。他の大学ではとうてい真似できないはずです。

アカデミーのインタープリター養成の場合、伝える技術や、動植物等の自然科学の基礎的な知識、森の生態学など、自然の素材を見つけ、伝えるまでのある程度の知識や技術は教えますが、2年間の大半は「教えられないことを自ら気づいて身につける時間」に費やされます。

その具体的な中身とは、「自然」「人(現場)」そして「生み出す時間」です。

インタープリターが生涯相手にするのが「自然」と「人」。両方とも「ひとつとして同じではないもの」「予測不可能なもの」です。これらとしっかりと向き合い、対話していく力を身につけるには、毎日のように自然や人を相手にする他ありません。その機会を豊富に提供できるのがアカデミーの特徴です。

アカデミーには敷地内に広大な演習林、ちょと歩けば長良川となんとも贅沢なフィールド、さらに幼児から大人まで対象とした公開講座が毎日のように学内で開催されています。

学生たちは、思う存分に人と自然と向き合う活動を続ける中で自らの課題やテーマを見つけ、さらには自分自身を見つめ直し、そして表現する時=アートの部分を「自ら生み出す」時がきます。学生たちはこの時期、自らを見つめ、探し、時には生みの苦しみでもがきまわります。なんとも贅沢な時間です。

こうして卒業する頃には、大方の学生さんは(保証はしませんが)何かしら生み出して、自分なりの視点とスタイルで、魂から出てくるメッセージを他人に伝えることができるようになってきています。技術的にはプロより劣るかもしれません。でも魂の火種だけはしっかりついてますから、後は社会に出てからどんどん大きくしていくだけです。

おかげで素敵な魂を持った卒業生たちが今まで全国に沢山巣立って行きました。おそらくオリンピックの時には、日本の素晴らしさを世界に伝える「満喫プロジェクト」のフロントラインに立っているはずです。

最後に一つだけ、未来のインタープリターにもう一つだけ伝えたいこと。それは「クレイジーさ」。マジメすぎたり、固定概念で世界を見たりするのはやめちゃいましょう〜!自然のことなんて、まったく興味のない人を魅きつけるのが仕事なんですから。。。どんどん当たり前の壁を破っていってください。きっと現場の上司たちもにこやかに見守ってくれることでしょう。

上:コバさんこと故・小林毅  前アカデミー教授(子供たちとの野鳥観察プログラムの一コマ)

かつてナバを拾ってくれたコバさんも、私たちのクレイジーな発想やプログラムをいつもニコニコと見守っていてくれました。だから当時は、あれだけ沢山の面白いプログラムや展示案が次々と生まれたのではないかと思います。ナバも若い皆さんたちのクレイジーさをいつでも歓迎します。

そんな日本のインタープリターの父、コバさんの命日3月13日が今年もやってきます。

生前、夕暮れ時の、昼と夜の自然の交代劇をタバコを燻らせながら愉しむのが好きだったことから「夕暮れ時を愉しむ日」になってます。全国各地で彼を慕う人々がこの日の夕暮れ時にしばし足を止めて、身近な自然の中の普段気づかない移ろいを感じながら思い想いのことを感じとっています。

こうしてみてもコバさんは死んだ後でもインタープリターしてますね。彼の魂の炎は今でもあちこちに火の粉として全国に散らばっています。そんな火の粉のかかった若者の皆さん、アカデミーは大歓迎しますよ。

*コバさん(小林毅)の活動を知りたい方は、以下リンクをご覧ください。

http://www.forest.ac.jp/wp-content/uploads/2016/03/小林-毅と日本のインタープリテーション.pdf

 

(超長文失礼)

なんちゃってせんせい 萩原ナバ裕作


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