活動報告
最近の活動
月別アーカイブ
2023年06月26日(月)

「わからないものと向き合う」クリエーターのための美術とデッサン

クリエーターとして生きるということは「わからないものに向き合い続けること」ではないでしょうか。

わたしたちは現実社会を日々生きていますが、電車の斜め向かいに座っている人の人生や、洗濯バサミが最初に考案された時代がいつなのか、鶏肉加工工場を建てるのに適した位置はどこなのか、跨いだ水たまりに反射した眩しさに心を打たれた理由などを、いちいち深く考えたり、解釈し直したりしません。わたしたちの日々はそんなことより優先してやることがあり、そこにエネルギーを割くことに価値があるとは思えず、何かの成果につながるとも思えず、何より疲れるからです。わたしたちはいつも疲れています。できるだけ疲れないためには、自分の周りの世界が「把握できるもの」で構成されていることが大切です。「把握できるもの」はわたしたちを脅かさず、危険から遠ざけてくれます。逆に「わからないもの」は恐ろしく、気持ちが悪く、疲れるので、「わからないもの」が日常に多く存在しないことをわたしたちは望んでいます。

クリエーターのための美術とデッサン2022-1

クリエーターのための美術とデッサン2022-10

絵を描くと疲れます。目の前にあるものを見て、それをそのまま描くときでさえ重労働と言えるでしょう。デッサンを一枚完成させるという行為は、どう考えてもラクなことではありません。その上、グレープフルーツを描いたデッサンを完成させたからといって、グレープフルーツの絵を食べることができるわけでもなく、誰かの利益になっているわけでもなく、心こめて描いたとしても、独りよがりで無意味だと批判されることすらあります。「絵っぽい画像」が欲しければ、スマートフォンで写真を撮って絵画風に加工できるソフトがあるのに、なぜ今、学校の授業でわざわざデッサンをする必要があるのでしょうか。

クリエーターのための美術とデッサン2022-8

この授業の目的は「見ることを通して良いものを目指す」というものです。上手に絵を描けるようになるのが目的ではありません。どちらかというと描くより見ることにウェイトを置いた実習になっています。
授業は丸4日間ありますが、主に何を見るのかというと、以下の3つです。

・モチーフ(静物)
・自分の絵
・他人の絵

一枚につき10時間は描くため、ほとんどの時間この3つのどれかを見ていることになります。

クリエーターのための美術とデッサン2022-9

クリエーターのための美術とデッサン2022-2

ところで、今これを読んでいるあなたは、最新のあなたです。時間は常に進んでいて、今が常にこの宇宙の最先端で、昨日の自分と今日の自分は少し違います。物理的にもそうですし、精神的にはもっと違うでしょう。あらゆる人、物、事象は常に変化しており、その最先端は現在であり、現在は常に「不明」が含まれます。
むずかしいことを言っているようですが、よく考えるとそうですよね?わたしたちは1日1日歳をとるし、過去と厳密に同じ気温推移になる日はありませんし、昨日聞いた噂で同僚の印象が変わるし、死んだ生物は生き返りません。わたしたちの住む世界は常に更新されています。

また、わたしたちはお互いの感覚や記憶を正確に共有できません。兄が蛇に噛まれてもわたしは痛くないし、自分の子どもが「大好きな青いボール」と言っても、その子が感じる青さはそのボールを見ても正確には分かりません。つまり他者のことは把握しきれないわけです。
もっと言うと、わたしは自分にどんなことができて、何かできないのか正確には分かりませんし、それを見誤ってよく失敗します。さらに、自分の過去に起きたことを思い出しても、そのとき自分が本当には何を感じてどうしてそのような行動に出たのか、説明できないことが多くあります。

人間という自分と同じ種で切り取っても、他者のことはおろか自分のことすらよくわからないわけですが、学校に生えているリョウブの木の性質や、誰かが拾った貝殻の形状、鹿の頭蓋骨の冷たさや重み、白布の皺に反射する光の質感、道の駅で買ったレタスのみずみずしさなど、人間以外の物はわかるのでしょうか。もちろんこれらの物も時間とともに常に少しずつ変化しているのですが。

クリエーターのための美術とデッサン2022-3

クリエーターのための美術とデッサン2022-4

それでもわたしたちは、自分や他人やこの世界を「わかっているもの」と「わかってなくても問題ないもの」として捉え、とりあえず日常生活を送っていますし、送ることが可能です。
だって、わからないものに向き合うのは、辛く、苦しいことであり、わたしたちは忙しいので。

でもこの授業は、わからないものに向き合う時間です。
すなわち、目の前にあるモチーフ、自分から出てきた絵、他者の描いた絵という「わからないもの」と、10時間×2=20時間対峙してもらいます。

モチーフの毛糸玉とブロッコリーはどのくらい離れているのか。レモンの下面と檜の木片の上面はどちらが明るいのか。置いて8時間経ったレタスはどんな印象になっているのか。

刻一刻と変化するモチーフを、同じ地点からじっとみて、鉛筆で紙に描いていきます。だんだん鉛筆の黒鉛が紙を黒くしていき、目の前に自分の絵が立ち上がってきます。自分の引いた線とテーブルの角度は合っているのか。絵の中でレモンはレモンの色に見えるか。ものが浮いて見えないか。実際の大きさより小さく感じないか。3次元のものを2次元に変換しているので、絵を描くのは情報の変換行為と言えるのですが、それが複雑なため、自分の絵が思ったようにならない状態が続きます。

一方で隣には、同じものと同じ時間向き合っている他者がいます。友達はブロッコリーを描く時どう判断して線を引いたのか。自分の線と比べて濃いか薄いか。構図をどう切り取ったのか。
授業では何度か、全員の絵を並べて見る時間をとります。

クリエーターのための美術とデッサン2022-6

他者の絵を見るとき、わたしたちはその筆跡をなぞって、描く行為を追体験します。そのとき自分に芽生えた感情を、他者もこの絵を描くときに感じているのだと判断することで、その絵から受ける印象が決まります。(「脳のミラーシステム」)
意味不明かもしれませんが、実際に同じものを同時にみんなで描くと、人の描いた絵が少し理解できるものなのです。これからクリエーターになろうとしている隣の友達は「わからないもの」とどう向き合ったのか、それをお互いに垣間見ることができるのです。同時に「この人はここをサボったな」「わかる範囲だけで描こうとしてるな」ということも判別できるようになります。

描き終わったら絵を並べて講評を始めるのですが、授業では自分の隣の人の絵を講評してもらいます。絵は非言語の表現ですが、他者の絵を言語化することで、絵の周辺を言葉でなぞっていきます。これは絵を見せてくれたお礼にプレゼントをするようなもので、描いた本人からすると自分の絵が人にどんな印象を与えたのか、朧げながら知ることができます。

クリエーターのための美術とデッサン2022-11

授業が終わると学生たちはへとへとになりますが、なにかをやり通した充実した表情にも見えます。デッサンは、絵を描かない人には関係のないスキルではなく、自分を含むこの世界を理解するための姿勢を学ぶことができる、クリエーターの基本教養なのです。

いま世界は、膨大な情報が片手で手に入り、その中には答えのようなものが溢れていますが、これからクリエーターとして生きたいと思う人たちや、森林文化を学んでさらに良いクリエーターになりたい人たちの交差点である森林文化アカデミーでは、長いクリエーター人生の始まりに「わからないものに向き合う」という姿勢を、この授業を通して身体に刻み込んで欲しいと願っています。

最後に、授業後のアンケートに寄せられた学生の感想を紹介します。

「私は仕事で絵を描く予定はありませんが、これから世の中にどのように貢献していきたいのか、その力はどうしたら養えるのか、をこの授業を通じて知ることができました。
この授業は多少なりとも絵に興味がある人しか受講を考えないと思うので、それが勿体無いような、でもそれでもいいような気もしました。
クリエイター科の学生は新しい仕事を作っていくことも求められます。そこでは直接的に何をするかよりも、それを通じて何を達成したいのかを常に意識しておくことが重要だと思います。その本質を探していく作業が、デッサンのために対象物をよく見る力と近いと感じました。また、これはまだ仮定でしかありませんが、物を見ること、すなわち物と誠実に向き合うことは、人と向き合うことにも繋がります。デッサンを通じて人と向き合い、周りの人々の適所を見つけられるようになるのではないかと思いました。」

 

木造建築教員:松井匠