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2016年07月14日(木)

常識を次々と覆す画期的な国土論『森林飽和』

川尻秀樹(0)

岐阜県立森林文化アカデミーのクリエーター科1年・2年共通科目「森林文化論」。この科目はJIRIが担当しておりますが、今回はNHKブックの『森林飽和』の著者、太田猛彦東京大学名誉教授をお迎えして、名著にかかるお話をして頂きました。

先生は砂防工学や治山工学がご専門で、「森林飽和」「農林水産業の技術者倫理」「森林の機能と評価」「宮川環境読本」「水の事典」「森と水と土の本」「渓流生態砂防学」「水と土をはぐくむ森」などの書籍も出版されています。

今回は34年も音信不通であった、不届きものの私のお願いをお聞き頂き、森林文化アカデミーにお越し下さり、『森林飽和』を中心に山や川、里、海にかかる総合的なお話をして下さいました。

川尻秀樹(1)

近年、森林がどれほど私たちの生活に影響を及ぼしているかに気づき始めた合板業界など木材関連団体だけでなく、河川関係者や海岸工事の関係者からも講演や執筆依頼の多い太田先生ですが、日本人がどのように森林に働き掛け、その影響で日本人の生活がどのように変化してきたのかを分かりやすく解説して下さいました。

森林飽和』の書籍の帯にある「常識を覆す画期的な国土論」これを聞けないなんて、なんて残念なと思える多様な内容です。

川尻秀樹(2)

講義の内容は ・治山砂防学-森林環境学から見た日本の森林

・津波と海岸林

・日本の森林の変遷 ~森林の荒廃とその復旧~

・戦後社会の変化と『森林飽和』・・・・そして見放される森

・その影響と現代の森林問題

たとえば、気候が森林土壌に及ぼす影響を二酸化炭素(CO2)と炭素で見ると、熱帯林と温帯林、亜寒帯林では蓄積される場所が違う。熱帯林は主に木部(樹木)に、温帯林は木部と土壌に、亜寒帯林は主に土壌に蓄積する。・・・・・これが何を意味するか分かりますか?

川尻秀樹(3)

世界には様々な森林の定義がある。たとえば「森林は閉鎖林でも疎開林でも良く、樹高が2~5m程度あれば森林と見なしている」、「樹冠率(樹冠面積/森林土地面積)が10~30%あれえば森林とみなす」考え方もある。 世界は日本人がイメージするような鬱蒼とした森林を想定していない。

川尻秀樹(4)

日本の気候はなんと、東南アジアと同じ「アジアモンスーン」つまり温帯多雨林である。

だから熱帯性植物(イネやタケなど)の生育が可能となる。

稲作農業 → 生産性が高い → 人口収容力が大きい → 狭い土地に人口が多い。

そこから生まれた里地里山システム。

川尻秀樹(5)

東北大震災に話を移すと、高田松原などの防風林・防砂林の知られざる役割に、漂流物の捕捉効果がある。実際に多くの漁船がこれに捕まり、人家や人に大きな被害を出すことを食い止めていた。

津波の力を弱める「減災」以外にも、多くの役に立っていた。マツの樹林帯は200m幅あると理想的。

川尻秀樹(6)

佐賀県の虹ノ松原、ここのマツも防災面でも景観面でも大変貴重です。マツによって海からの「飛砂」を防ぐことができます。マツは深根性樹種ですが、内陸側に排水不良で地下水位が高いところができると、根を深く張らない。 そうした場所は厚く土盛りをして、マツを植栽する。

加えて、虹ノ松原では美しいマツを維持するためのマツノザイセンチュウ病との戦いもあります。これはマツノマダラカミキリマツノザイセンチュウを連れてマツを後食することで伝播しますが、これを防ぐには近隣の山に自生しているマツも徹底的に排除し、この虹ノ松原マツノマダラカミキリが進入することがないようにしなければなりません。

ややもすると、非難される薬剤の空中散布も必要です。薬剤で様々な生物層の生態系が冒されるのは事実ですが、マツ林によって守りたいものは何か? それが主題です。

川尻秀樹(7)

 

日本の森林の歴史は変動が大きく、特に江戸時代以降は急激な人口増加も相まって、日本中「はげ山」だらけになっていた。

岡山県や愛知県なども有名なはげ山が多く、特に花崗岩地帯は激甚であった。

日本では300年以上に亘って、現在の開発途上国の山地荒廃と同様の光景があった。

川尻秀樹(8)

1950年の青森県の十和田でも、女性がマツの植林活動にかり出され、水源林の緑化が進められた。

川尻秀樹(9)

江戸時代の歌川広重による東海道五十三次の絵を見ても同じことが言える。

神奈川県の平塚ではマツしか描かれておらず、背景ははげ山。

広重の絵には豊かな森林の姿はどこにも見られない。

川尻秀樹(10)

江戸時代の日本の社会と森林の荒廃を見てみると

1.自然条件はプレートの沈み込み地帯・温帯アジアモンスーン気候

2.稲作農耕社会で人口3000万人(当時の世界の人口の1/20~30)の暮らしを支える農用林・生活林

が不可欠。 → 資源量に限界がある → 森林資源の減少・森林の劣化 → 山地荒廃 → 洪水氾濫

里地・里山システムでの工夫、入会林の制度、用水利用の調整(水利権)

 

1862年、江戸時代に平尾魯仙が描いた白神山地で生産されたの山。

昔も今も、都会の人が田舎を食い物にしている。

川尻秀樹(11)

里山は農用林・生活林だった。

里のほかに野良、野辺、里山、奥山があり、里山で肥料にする刈芝をとって畑や水田に緑肥として利用する。江戸時代の日本人にとって、資源は木(草)と石、土だった。エネルギー源は木のみだった。

川尻秀樹(12)

理想の「里地・里山システム」の例、 村落の理想の立地条件(農業普及の書より)

①田畑が豊富で四、五十町歩もある広い村里であること。

②土質が重くて良いこと。

村里の東西南北を野山が囲み、資料の馬草や燃料の薪が得られること。

野山の麓に耕地に注ぐ水が豊かであること。百姓の家屋下の下水は低いところにある田に流し入れる。

 家宅の位置を考え、一滴の使用水も無駄にしない。

⑤田や畑へ通う道は広くつける。田畑を大きく区画して畦や境に空き地がないようにする。

⑥人の多い村里は人糞尿も多いので土地が肥え、田螺(タニシ)や泥鰌(ドジョウ)も増える。

⑦村里が魚類や草塩を入手することができる海に近いこと。

⑧いろいろな所用を足し、”不浄(人糞尿)”を得ることのできる”繁盛の地(町方)”に近いこと。

川尻秀樹(13)

2000年以上続いた稲作農耕社会、その過程での食料やエネルギーは、ほとんど全てが光合成生産物である。

稲作農耕かつ森林民族である。 そして日本人の心にも森林は影響を与えている。

川尻秀樹(14)

日本の森林(植生)の変遷を見ると、

森林(里山)の荒廃は古代都市の成立とともに始まる(世界共通)。

戦国期から江戸期にかけて人口は3倍(3000万人)に増加し、森林の荒廃が全国的に進行。

→ 江戸時代は「山地荒廃の時代」:儒学者による「治山治水」思想。

現在、日本の森林は300~400年ぶりの緑の回復・・・森林は回復した。しかしが問題!

川尻秀樹(16)

日本の森は過去半世紀で2倍に増加している。しかも人工林の蓄積量は年間木材使用量を大幅に超える勢いで増加している。

森林の木材を使用せずに、森林蓄積が増加することは、一見すると良いことのようにも思えるかもしれません。しかし森林が見事に育つことで、土砂が河川に供給されず、河床の洗掘が発生したり、砂浜が現減少したりという問題もある。

本来、日本の山は適度に荒れて、適度に森林が潤わなければダメなのかもしれない。

そう感じる太田先生の講義の一部を紹介しました。

以上報告、JIRIこと川尻秀樹でした。、

 

 

 

 

 


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