学長ご挨拶
岐阜県立森林文化アカデミー学長
涌井 史郎(通称:雅之)
ようこそアカデミーへ
岐阜県立森林文化アカデミーは 2001年4月「森林と人との共生」を基本理念とした全国唯一の森林を主題とした専修学校として開学以来20年以上経過。その間に輩出した多くの卒業生は、林業・林産業・木造建築・環境教育分野・ものづくり・木育分野等々、森の命を知りその価値を顕在化する為に幅広い分野で活躍しています。
皆さんも知っての通り、国土面積の66%を森林が占める日本は「森の国」と言っても良いでしょう。また森林と共に生きる山村、つまり林野率80%以上の市町村は全国に350あり,市町村全体の5分の1を占めています。資源と言う意味からは、その蓄積量は過去55年間で約3倍、人工林は約6倍に達してもいます。ところがこの森林や木材そしてそれを守り育て暮らしを支える山村、或いは木材を巡る技能や技術の状況を見るとまさに危機に瀕していると言えましょう。地球環境の保全の立場からも、こうした森林や木材それを維持保全しつつ利活用する事は、多くの価値を生みます。
それ故に、自然と人の暮らしの相互関係、取り分け森林の機能と生産物の価値を維持増進する意味と意義は日増しに大きくなりつつあります。
こうした状況に対応出来る有能な人材を育てる為の教育体制として、本学では、森と木のクリエーター科と森と木のエンジニア科の2学科を編成しています。前者は高度な専門知識と問題解決のための企画力、創造力を持った人材を、森林利活用分野(林業・森林環境教育・木育)と木材利用分野(木造建築・木工)の2分野を設け、養成しています。後者は森林・林業・木材利用分野で活躍できる現場の技術者を技能にまで踏み込んで実践的な人材を養成します。
これまでの大学などの高等教育が陥りやすい縦割りの分野における知識教育を脱却し、具体の森林や山村空間、そして木材やその加工品や機械・機器を直接取り扱い、少人数で学びの仲間を作りつつ、互いに刺激を受けながら現地・現物から学ぶ実践教育の体系を有している事が本学の価値と言えましょう。そして、科学・技術・技能が等しい位置にあり、それを自由度の高いカリキュラムの選択しながら学べる「地方自治型自由学校」とも申せましょう。
自立の為の自律的自由。そうした教育思想と環境の中から、地域や市民と連携しつつ、研究・教育・社会サービスを皆さんと教職員が共に手を携え、実践を通じて、我国いや世界に「森林と人との共生」を広げていこうではありませんか。
経歴
1945年神奈川県鎌倉市生まれ。
東京農業大学に学んだ後、東急グループに1972年造園会社を設立。代表取締役就任。
2000年に桐蔭横浜大学・教授・先端医用工学センター長就任。
2003年 日本国際博覧会(愛・地球博)会場演出総合プロデューサー就任。
2006年 桐蔭横浜大学特任教授兼務のまま東京農業大学客員教授。
2007年 中部大学・教授、現中部学術高等研究所客員教授。
2009年 桐蔭横浜大学退任。同年東京都市大学・教授就任。
2013年 第39回全国育樹祭総合アドバイザー就任。
2016年 東京都市大学特別教授就任。
(公財)とうきゅう環境浄化財団理事、(公社)国際観光施設協会副会長、(一社)日本公園緑地協会副会長を務める傍ら、国、地方公共団体の各種委員会委員、委員長等を務める。
涌井史郎学長から新入生の皆様へ
令和7年度 岐阜県立森林文化アカデミー入学式 学長式辞
諸君ご入学おめでとう。本日、森と木のクリエーター科に20名、森と木のエンジニア科に23名、計43名を新入生として本学に迎えることとなりました事は、私をはじめ教職員一同、並びに在学生諸君にとり、大いなる喜びであります。
さらに本学を支援して頂いている多くの御来賓をお招きし、晴れがましく、又にぎにぎしく諸君を本学に迎えられる式典を挙行できることは、コロナ・パンデミックの3か年を追憶すると、感慨は一入であり感動ですら覚えます。
本日は、林野庁ご関係者。県会議員の先生方、岐阜県知事を筆頭とする関係者。地元美濃市長など、本学と連携協定を締結して頂いている県下自治体の首長様や大学、企業の方々。そして奨学金給付などのご支援を賜っている県下金融機関や個人の篤志家の皆様方をお迎えいたしております。高いところから恐縮ですが、ご多忙の中、入学式に態々お運びを頂いた事。また、日頃からの篤いご支援に対し改めて御礼を申し上げます。
冷静に、あのコロナ・パンデミック蔓延の時代を振り返れば、地球が置かれている今という時代を象徴する出来事であったといえましょう。おそらく、後世の歴史家は、このコロナ・パンデミックが、ある種の文明史の転換点となり、社会的大変容をもたらしたと評するに違いないと確信しております。
それは、世界史に起きた、いわゆる文明の転換点は、必ずパンデミックが関係をしているという事実が認められるからです。
現実を見てみましょう。今我々は、人類存亡にも関わる危機に直面しております。一言でいえば、プラネタリー・バウンダリー、つまり、地球の環境容量の限界。つまり閾値が年ごとに加速しているという事態です。
動力という機械を生み出した近代は、その後大きく発展したもののその成果に溺れ、我々の「衣食住」という日常。いや命ですら、自然の恵み、つまり生態系サービスに支えられているという事実を顧みることなく、その恩恵を当たり前として受け入れてきました。しかも、科学技術が自然の力を凌ぐかのような錯誤に陥り、自然をリスペクトし、その価値を重視し、保護・保全・再生への配慮を怠る200年余を過ごしてきました。このような、自然の恵みを当たり前として来た錯誤の時代を続けてきた故に、持続的未来を危うくしているのです。
凡そ3300万種と言われている生物種で構成される、地球上の表面、厚み僅かに30㎞しかない薄い膜状の生物圏こそが、その恩恵の原資です。人類は、その多くの種で構成される生物圏の1種でしかない厳粛な事実を忘れてきました。何とその生物圏内では各々の生物がシステムの一機能として役割を果たし、生物圏内のエネルギーと物質が自律的に再生循環する仕組み、つまり「生態系システム」を築いてきたのです。そのシステムこそが我々を支える恩恵の源です。しかし人類は、そうした生態系がもたらすサービスは無限と考え、一方的気候条件を歪ませたり、そのシステムに負荷をかけ続けたり、急速にプラネタリー・バウンダリー状態に到達してしまう状況を創り出しています。
この生態系システムの破綻状態を避けるためには、負荷をかけ続ける我々人間に、自然界から大きな警告を与える必要が生じたのです。あくまでも個人の見解ではありますが、そうした自然からの戒めの一つが、自然の奥深いところに静かに存在していたウイルスを、人獣共通ウイルスに変異させ、免疫力のない人類に襲い掛かったのが、このコロナ・パンデミックであると考えております。
このような、文明史の転換点に置かれている我々、とりわけ、そうした時代を生き抜かねばならぬ諸君は、このウイルスとの戦いの記憶を、単なる健康問題。自分や家族の感染との闘いといった、内向きで、矮小化した見方に押し込めてはなりません。むしろ持続的未来を獲得するための、叡智を見出す好機と考えて欲しいのです。
このようなパンデミックと文明の転換の関係は、先に述べたように、5千年を超える世界史を俯瞰しても明らかです。世界が歴史の大転換を果たした契機のいずれもが、その時代のパンデミックと深い関係にあり、その悲劇をその時々の人類が、叡智を働かせ、苦難を乗り越えて今に至っているのです。
諸君はこのような世界史の大転換(transformative change)のど真ん中にいるという事実を認識する必要があります。コロナ起因のパンデミックを今我々がやり過ごす事が出来たとしても、我々の持続的未来を考えるならば、プラネタリー・バウンダリーを遠ざけるための社会的大変容を起こさなければ、我々の子孫にこの美しい地球と共に生きる未来はないと言わざるを得ません。諸君はその只中にいるのです。
今世界に、遅まきながら漸くみどりの風が吹くようになりました。つまり自然と共生する社会の実現なくしては、持続的未来も、人々のウエルビーングな条件は整わないという認識の深まりです。WHOはそれを「ワンヘルス」「地球が健康でなければ地域も個人も健康ではいられない」という発想です。
その様に考えれば、森林という生物多様性の母体であり、多様な生態系サービスの供給源である、森林の学びは、極めて重要な学びであることが理解できましょう。
今日から、本学の一員となる諸君。諸君を含めた我々は、自然の主役、森林という生態系の基盤を対象に、科学的知見と、それを現場に展開した技術を、理論並びに五感・体感を通じて学ぶために、現地現物主義に基づいた学びを始める第一歩が明日より始まるのです。
すでに理解をされておられるとおり、森林という存在の持続的未来に果たす役割はますます大きくなる一方です。諸君は人類がその生存への持続的未来を確保する為に必要な森林をあらゆる角度から学び、しかもそれを生きるための生業にしようとする覚悟で学ぼうと、ここに集った同志です。それはただ単に自己実現を図るばかりではなく、僅かな片隅の明かりではあってもそれが全体を照らし出すことに繋がる、「一隅を照らす」が如き誇り高き学びなのです。
さて、
岐阜県は県土面積の81%を森林が占める全国2位の森林県です。しかしながら本県を含め、我が国の森林が、今日目にする蓄積量を持つに至ったのは僅か数十年の歴史でしかありません。実に新しい姿なのです。
ただ皮肉なことに、そうした先人の汗と知恵の努力が歴史に刻まれながら、その成果である森林・山村が、短期的に見るならば現在極めて困難な状況に陥っています。
先にも触れたように、グローバルにもローカルにも関わる大課題に対応し得る多面的公益性を有する森林は、何と単一の側面からの評価。例えば木材価格という側面だけで評価されてしまう時代が続きました。外国産材との価格競争に晒され、単一の経済評価の観点からですら競争力を失い、他の公益的機能を置き忘れ、管理を忘れ放置される森林が増加してしまう事態が続いています。まさに自然、森林に対する不当な評価です。
その結果、森林を守り育て、材を搬出することにより暮らしの糧を得てきた山村、それを支えた森と生きる人々や歴史に培われた伝統文化の知恵が消滅し、森林を健全に維持し、安全に合理的・経済的に伐採・搬出、育樹するための技能や技術等、森林とそれを擁する地域の双方が今まさに危機に瀕しています。
我々は、率先垂範して「一隅を照らす」覚悟で、森という現場で学び続け、持続的未来を充足する重要な役割を担う者であり、時にそれを説く者であらねばなりません。植物という生態系の基盤、その最大化されたランドスケープである森と共に人々が生き、幸せを獲得する為に、最前線から、行動・実践し、時には先導せねばならないのです。
先にも申し上げた通り、森林空間は、商品取引の対象としての木材資源を生み出す価値にも大きな意味がありますが、グリーンインフラとしての多面的な公益性を持つ極めて重要な空間です。またその優れた景観は多くの人々にやすらぎを提供し、日々のテクノストレスからの解放にも貢献できることへの認知が進み、今や世界中に、そうした森林空間を楽しむための多様な「森林サービス産業」への芽出しの動きが活発になろうとしています。
諸君らは、本学の学びを通じ、先ずは林業を経営的に魅力あるものとし、次いでありとあらゆる知恵を動員し多面的公益性を経済価値化する方向を目指し、様々な森林に関係する多様な知識を得つつ、森林を科学し、技能・技術を体得し、新たな森林や森林資源の魅力を磨き上げ、経済価値化する事にも努力を傾注してください。
以上の意味から、諸君に与えられた2年間は、諸君自身の自己実現の為のみならず、多くの課題を抱えた世界や我国の森林・林業の現場にとっても重要な学びであり、そうした学びに勤しむ己の姿に誇りを持ち、勤しむ自覚を深めて頂ければと、改めて期待したいと思います。
それにしても、2年という時間は短くもあり長くもあります。その間、時には力尽きそうな時があるかもしれません。そうした時には、先ず諸君が自身に問いかけてください。人というものは自分が存在する価値に加えて、誰かの為に存在するという価値観を糧にしてこそ、生甲斐を感得出来る、唯一無二の存在です。
在学中、様々な悩みを抱える事も大いにあり得る事でしょう。個人的な事ではありますが、かく言う、私自身も、これまでの78年間の概ね60年もの個人史の中で、何回か力尽きようとしている自分があり、そのピンチを多くの良き仲間に救われて今に至っています。
そうした頼りがいのある仲間の存在が、先輩や同級、そして教職員、本学の中には満ちています。これまで旅立った諸君らの多くの先輩が口々にそうした体験を語ってくれています。
どうか今日の初心を忘れず、一人に閉じ込まらず、先ずは自分の心を開いてみてください。自分が心を開けば、必ず他者も自分に心を開くものです。我々教職員は、諸君が最善の航路を選択できるよう努力を惜しまぬことを誓って止みません。
本学における2年間は、必ずや、諸君の自己実現と共に、諸君の明日を照らすに相応しい意味ある2年となりましょう。更に高みを目指す学生には、交流協定を交わしているドイツのロッテンブルク林業大学に学ぶ機会も用意されています。
また、市民と森林の繋がりを確かめ、多くの知見を得られる場所として、本学構内にはドイツの「森の家・ハウスデスバルデス」をモデルにした森林総合教育センター「モリノス」が用意されています。
諸君はこうした施設に集う方々から、多様な世代がどのような森を楽しもうとしているのか、森について何を知り、どのような体感を得たいのかを直接学ぶ事が可能です。このような様々な現場と機会を利活用し、森林の維持管理に対する企画力、創造力を養い、林業、森林環境教育、木造建築、木工の指導者となるために、自己実現と符合した解をこの2年間の中で見出す道筋が、本学には用意されています。
さらに、本学を事務局とする林業・林産業の産業界で構成された「森林技術開発・普及コンソーシアム」参加企業が、幅広にインターンシップの受け皿としての門戸を開いてくださっています。在学中には生きた現場の最新の情報を提供し、更に多くの卒業生の就職をも受け入れて下さっています。
これら多様な本学のネットワークやチャレンジングな機会を、諸君は積極的に利活用し、多様な学びの分野から2年後には各々の自己実現の道筋を見出してください。
我々も又、諸君が日々前向きになれるよう、諸君をより望ましい方向に導けるよう、諸君と一体となり、進化を遂げていく所存です。
そして、人々が自然の一員として、自然と共生しつつ、そのウエルビーングな暮らしを担保できる新たな文明像を森林というカテゴリーから追い求めましょう。そうした志が、本学に学び教える全ての人々と、今日ここに迎えた諸君を加え、しっかりと結び付ける事となりましょう。
ともあれ、改めてご入学おめでとう。
そして高いところから恐縮ではありますが、重ねて、本日ご来会の御来賓並びに保護者の皆様方に改めて御礼とお祝いを申し上げさせて頂きます。
令和7年4月9日
岐阜県立森林文化アカデミー
学長 涌井 史郎