学長ご挨拶
岐阜県立森林文化アカデミー学長
涌井 史郎(通称:雅之)
ようこそアカデミーへ
日本は「森の国」といってもよいでしょう。国土面積の66%は森林であり、これは諸外国、たとえば中国14%、米国32%等と比較し、きわめて高い比率です。また森林と共にある山村、つまり森林率80%以上の市町村は全国に789あり、市町村全体の4分の1を占めています。ところが戦後の燃料革命や、非木質系資材の普及、外材の輸入等により、日本の林業は縮退傾向をたどる一方であり、過酷な現実に晒され、取り分け脆弱な地域、山村の苦悩は深まる一方です。
その一方、地球環境の未来を考えると、森林の多目的な公益的機能、とりわけ森林を健康な状態に維持増進する意味と意義は、自然と人の暮らしのより良い相互関係を構築する上で、極めて重要です。2015年末世界196ヶ国が参加しパリで開催された、COP-21において、京都議定書の次の枠組みに於いても、健全な森林の存在こそが最も有効な二酸化炭素の吸収源と位置付けられています。常に更新された健康な森林が、地球温暖化への処方である二酸化炭素の吸収に果たす役割が極めて大きいからです。そうした意味でも、県下揖斐川町で2015年10月11日に開催された全国育樹祭において、前例のない形で皇太子殿下御自ら択伐の所作をされたことは、近い将来に対し、大きな方向を示唆頂けるまことに意義深い出来事と申せましょう。
岐阜県は、日本で2番目の森林率を誇り、県内土地面積の81%を超える山村を抱えています。そうした県土の特性と、これまで述べた観点から、森林の多目的公益性、その存在効用と利用効用の両面にわたり、研究・教育・実践を行おうとするのが本学の狙いです。森林から山村、そして里山から都市に至るまでの人々と森林の関わり、森林と林業家の双方にとり安全であり健全、そして合理的な経営への技術・技能と経済学的な視点、木質系資材とその利活用のためのデザインなど、林業の複合的要因を、山元から加工・流通、そして利活用に至るまで網羅的でありながら体系的知識と実践が学べるキャンパスといってよいでしょう。美しい森林に囲まれた歴史と伝統あふれる美濃のまちのそば近く、それも30haに及ぶ演習林もキャンパスで、少数精鋭、しかも教員とほぼ1対1で森林・林業の課題と各々の未来を語りつつ、体系的に同じ目的を持った学生と共に、専門職大学院レベルから技術専修に至るまでを一貫して学べる我が国唯一の学び舎です。
さらに、地球環境の持続的未来を担保する重要な要因が森林であるとの認識を共有する、ドイツ・ロッテンブルク林業大学との交流が3年目となり、日独森林シンポジウムが交互に開催されています。もとより学生も積極的に参加し、双方の往来が本格化しています。皇族殿下から世界各国、そして国内からも引きも切らない来訪者を数える本学の教育とその成果を、皆さんと共に未来、そして我国のみならず世界に発信していこうではありませんか。
経歴
1945年神奈川県鎌倉市生まれ。
東京農業大学に学んだ後、東急グループに1972年造園会社を設立。代表取締役就任。
2000年に桐蔭横浜大学・教授・先端医用工学センター長就任。
2003年 日本国際博覧会(愛・地球博)会場演出総合プロデューサー就任。
2006年 桐蔭横浜大学特任教授兼務のまま東京農業大学客員教授。
2007年 中部大学・教授、現中部学術高等研究所客員教授。
2009年 桐蔭横浜大学退任。同年東京都市大学・教授就任。
2013年 第39回全国育樹祭総合アドバイザー就任。
2016年 東京都市大学特別教授就任。
(公財)とうきゅう環境浄化財団理事、(公社)国際観光施設協会副会長、(一社)日本公園緑地協会副会長を務める傍ら、国、地方公共団体の各種委員会委員、委員長等を務める。
涌井史郎学長から新入生の皆様へ
令和5年度 岐阜県立森林文化アカデミー入学式 学長式辞
諸君ご入学おめでとう。今日の良き日に、本学は、森と木のクリエーター科19名、森と木のエンジニア科22名、計41名を新入生として迎えることとなりました。私をはじめ教職員一同、諸君を迎えることを心から喜んでおります。しかもその喜びは、ここ数年のそれを上回る格別なもの。
と申しますのも、パンデミック・コロナとの闘いに明け暮れて凡そ3年。この間、我々は、学校運営について感染阻止を一番と考え、在学生諸君にも大きな負担をかけ心苦しい思いを抱き続けてきたからです。入学式も卒業式も又簡略化を旨とし感染防止を優先。身内のみで式典を挙行して参りました。しかも先月開催した卒業生諸君は、入学式そして卒業式も又そうした簡略化の中で送り出さざるを得ず、我々は心苦しく、慙愧に堪えぬ想いで、ひたすら申し訳ないとの思いを心の奥底に秘めつつ、精一杯の笑顔で見送ったばかり。
漸くここに、本学を支援して頂いている多くの御来賓をお招きし、晴れがましく、又にぎにぎしく諸君を本学の同志として迎えられる式典を挙行できる事は、喜びに耐えられません。まさに感慨ひとしおであります。
併せて、本学を常にご支援頂いている、知事を筆頭とする林政当局・県会議員の先生をはじめとする岐阜県関係者。地元美濃市など本学と連携協定を締結して頂いている県下自治体の首長様とその代理の方々。そして奨学金給付などのご支援を賜っている県下金融機関や個人の篤志家の皆様。そして本学を事務局とする林業・林産業を構成する産業界により構成された「岐阜県森林技術開発・普及コンソーシアム」等から御来臨頂いた皆様に対し、高いところから恐縮ですが、篤く篤く御礼を申し上げます。
さて、そうした苦難をもたらしたコロナ・パンデミックの話題に、今一度話を戻したいと思います。来月には5類となり終息の方向。何で今更、この目出度い席上にそうした話題を語るのかと思われるかもしれませんが、実はこの苦難は今日迎えた諸君の将来と密接不可分と考えるからであります。何故ならばこのパンデミックは明らかに、ある種の文明史の転換点。社会的大変容をもたらす可能性が大きいからです。そうした文明史の転換点に置かれるであろう諸君は、そうした時代を生きる事への認識を確かなものとせねばなりません。
よってこのウイルスとの戦いの記憶を、諸君は、自分や家族の感染との闘いといった次元。内向きで、狭小な話題に押し込めてはなりません。どうしてコロナの件をそのように大袈裟に、しかもこの目出度い式典の中で、敢えてお話しをするのでしょうか。
それは、世界史に遡ります。世界が歴史の大転換を果たした契機のいずれもが、そのパンデミックにあったという事実があるからです。
例えば、中世が近世に大転換をしたきっかけは、13世紀、西へ西へと勢力を拡大し、遂に東欧諸国にまで進出したモンゴル帝国軍は、その遠征途上で自ら感染したペスト菌をクリミア半島経由で欧州に拡散させたのです。その結果、黒死病と名を冠されたペストにより、当時の欧州人口の約3割が病没したと記録されています。それを契機に暗黒の時代とも称された教会支配の中世封建社会が、病気に何ら対応できぬ教会への不信に起因して内部崩壊。北ヨーロッパではプロテスタントが芽生え、南に於いては、真理に迫る科学が復活し、伸び伸びとした芸術を伴なったルネッサンスが起き、中世は幕を下ろし近世へと文明を大転換させました。
その近世もまた、大航海時代を経た19世紀初頭、新たなパンデミックに原因して近世が近代に衣替えをしたのです。急速な東西貿易の拡大により、インドを起源とするコレラが欧州、アジア、日本にも蔓延し、ペストと同様、多くの人々を死に至らしめました。とりわけその頃の欧州は、産業革命の勃興期にあたり、多くの都市労働者を必要とした時代でもあります。農村から急速に流入した労働者階層の多くは、不衛生で稠密な居住環境にさらされ、そこにコレラが直撃したのです。その結果産業革命を停滞させる状況を生み出しました。そこで労働者階級という社会階層の存在を認め、その権利と義務や、その生活環境を整える為に、都市計画が誕生し、公園や、上・下水道、そして道路等の整備が進み、その背景ともなる公衆衛生学が進歩を遂げたのです。つまり、近代の始まりであります。その途上にも結核の流行や、第一次世界大戦直後のスペイン風邪が世界に大流行した事実はありましたが、今という時代に近代は引き継がれています。
しかし賢明な諸君は、このような世界史の潮流に照らし、仮にコロナ起因のパンデミックをやり過ごす事が出来たとしても、もう元の近代に戻る事はあり得ぬ事に気づいておられることでしょう。
それはパンデミックのみならず、それと同等いやそれ以上に我々の未来に対し深刻な打撃を与え、人類存亡にも関わる危機が進行しているからです。
それを一言でいえば、プラネタリー・バウンダリーです。つまり、地球の環境容量の限界が年ごとに加速しているという事態です。
エネルギーと動力と機械を生み出した近代は、それに頼るあまり、潰えに我々をして、衣食住という日常が、自然の恵みつまり生態系サービスに支えられているという事実を置き忘れてしまいました。自然をリスペクトし、保護・保全・再生への配慮を怠るばかりか、科学技術がそれを補えるかのような錯誤に陥いっています。その錯誤こそが、持続的未来を危うくしているのです。我々人間は、凡そ3300万種と言われている生物界の中の1種でしかないのです。その人間が無頓着に地球の生命圏、生態系システムに大きな負荷をかけ、しかもまだまだこれ以上がある筈と、貪欲に溺れるあまり、とうとう自然の奥深いところに静かに存在していたウイルスを引き出し、人獣共通ウイルスに変異させてしまいました。それが、このパンデミックです。
その様に考えれば、本学での我々の学びは、自然の叡智の奥深さを学び、人類の傲慢さとその限界を知り、それに対処する為の学びというべきなのかもしれません。
今、漸く世界は、コロナ後の時代を「NbS」。つまり現在抱えている我々の社会的課題の解決を、近代の特性である工学的・化学的手法で探るばかりではなく、先ずそうした手段が、生態系のメカニズムに負の影響を与えるものであるのか、そうではないと判断できるのかを検証し、選択するという「ネーチャーベースドソリューション」の原則に従って解決を図る。人類は生態系の一部という峻厳な事実を再認識し、如何に自然との共生の世界を再構築するのかという新たな倫理観に支えられた、新たな文明を模索し始めているのです。
今日から、本学の一員となる諸君。諸君を含めた我々は、森という生態系の基盤である自然を対象に、科学的知見とそれを展開した技術を、頭脳のみならず、五感・体感からの学びに支えられる技能をも身に着け、真理が凝縮している現場、つまりフィールドに向き合い学ぶ道筋がいよいよ始まります。
プラネタリー・バウンダリーが迫る中、森林という存在の持続的未来に果たす役割はますます大きくなる一方です。例えば、グローバルな視点からは、地球温暖化や気候変動に対するCO2の吸収源。多様な生物の母胎、或いは真水の供給源といった地球の生命圏そのものへの貢献、ローカルな観点からは、奥山・中山間のような農業やモノづくりに於ける条件不利地に置かれながら唯一地域経済に貢献できる力を有する森林資源を如何に経済価値化するのかについて等、多様な学びが本学に於いて今日から始まります。
さて、本学は、2001年4月「森林と人との共生」を基本理念とした全国初の幅広な森林教育・学習機関として開学。その基礎は、1971年に開校した岐阜県林業短期大学校であり、その30年の教育成果を踏まえた開学であります。
我々は、「現地現物主義」を教育方針の根幹に据え、少人数による個別指導、既存の枠組みにとらわれない自由で実践的なカリキュラム、地域の課題解決を主眼とした研究と教育をめざしております。何故ならば、立地によって異なる森林の構成や樹種、或いはそこから生まれた素材などの森林空間や素材としての質的特性と向き合う中で、材の伐出や加工の技の選択が、自然との相対性の中で決定される要因が大きいからです。まさに、如何に自然と向き合うのかが、あらゆる教育分野に於いて重視されるからです。
先に述べたように、我国は、国土面積の67%を森林が占めています。まさに「森の国」であり、その中でもここ岐阜県は県土面積の81%を森林が占める全国2位の森林県です。しかしながら本県を含め、我が国の森林が、今日目にする蓄積量を持つに至ったのは僅か数十年の歴史でしかありません。実に新しい姿なのです。
そうした森林と共に生きる山村、つまり林野率80%以上の市町村は全国に350も存在し、我国市町村全体の5分の1を占めるに至っています。また、資源と言う観点に立てば、その蓄積量は、過去50年間で2.8倍、人工林では約6倍に達する成果を生んでいます。
しかし皮肉なことに、そうした先人の汗と知恵の努力が歴史に刻まれながら、その成果である森林・山村が、短期的に見るならば現在極めて困難な状況に陥っています。
先にも触れたように、グローバルにもローカルにも関わる大課題に対応し得る多面的公益性を有する森林は、何と単一の側面からの評価。例えば木材価格という側面だけで評価されてしまう時代が続きました。それも唯一自給が可能な木材が、住宅などの建築工法の変化に対応した外国産材との価格競争に晒され、単一の経済評価の観点からですら競争力を失い、他の公益的機能を置き忘れ、管理を忘れ放置される森林が増加してしまう事態が続いています。まさに自然、森林に対する不当な評価です。
その結果、我が国の森林と、それを支える山村が逆境に喘ぐ状況に貶められています。森林を守り育て、材を搬出することにより暮らしの糧を得てきた山村、それを支えた森と生きる人々や歴史に培われた伝統文化の知恵が消滅し、森林を健全に維持し、安全に合理的・経済的に伐採・搬出、育樹するための技能や技術等、森林とそれを擁する地域の双方が今まさに危機に瀕しています。
我々は、率先垂範して地球という命に満ちた奇跡の星に、持続的未来を描き続けられるよう、森という現場で学び続け、持続的未来を充足する重要な役割を担う者であり、時にそれを説く者であらねばなりません。植物という生態系の基盤、その最大化されたランドスケープである森と共に人々が生き、幸せを獲得する為に、最前線から、行動・実践し、時には先導せねばならないのです。
世界は漸く、昨年12月カナダのモントリオールで開催された第15回生物多様性条約締約国会議で2030年の中期目標を「ネーチャーポジティブ」とし、自然の力の反転的回復をしなければ持続的未来はないと確認し、その為に具体的行動を促す宣言を致しました。その為の具体策。陸域の30%水域の30%を法的に保護する30×30も議定したのです。
先にも申し上げた通り、森林空間は、商品取引の対象としての木材資源を生み出す価値にも大きな意味がありますが、グリーンインフラとしての多面的な公益性を持つ極めて重要な空間です。またその優れた景観は多くの人々にやすらぎを提供し、日々のテクノストレスからの解放にも貢献できることへの認知が進み、今や世界中に、そうした森林空間を楽しむための多様な「森林サービス産業」への芽出しの動きが活発になろうとしています。
諸君らは、本学の学びを通じ、先ずは林業を経営的に魅力あるものとし、次いでありとあらゆる知恵を動員し多面的公益性を経済価値化する方向を目指し、様々な森林に関係する多様な知識を得つつ、森林を科学し、技能・技術の体得を磨き、新たな森林や森林資源の魅力を磨き上げ経済価値化する事にも努力を傾注してください。
以上の意味から、森と木のクリエーター科と森と木のエンジニア科の2学科それぞれに与えられた2年間は、諸君自身の自己実現の為のみならず、多くの課題を抱えた世界や我国の森林・林業の現場にとっても重要な学びであり、そうした学びに勤しむ誇りをもたらす理解と自覚を深めて頂ければと、改めて期待したいと思います。
それにしても、2年という時間は短くもあり長くもあります。その間、時には力尽きそうな時があるかもしれません。そうした時には、先ず諸君が自身に問いかけてください。人というものは自分が存在する価値に加えて、誰かの為に存在するという価値感を糧にしてこそ、生甲斐を得ることが出来る、唯一無二の存在です。
諸君が本学を選んだという瞬間から、今この入学式を経て卒業に至るまで、くじけそうになった時には、そうした選択を決心した自分の判断力を思い起こし、自分を褒め、迷わず諸君の傍らにいて、あらゆる事象に誠実に向き合うことが出来る教職員。そして、同期・同窓の同志であり仲間である学友に遠慮なく頼って下さい。
誰しもが、様々な悩みと共に人生を過ごしているのです。個人的な事ではありますが、かく言う、私自身も、これまでの77年間の概ね60年もの個人史の中で、屡々力尽きようとしている自分を、多くの良き仲間に救われて今に至り、そうした頼る仲間が存在していなければ今日の自分は存在していないと確信しております。
どうか今日の初心を忘れず、一人にならず、先ずは自分の心を開いてみてください。自分が心を開けば、必ず他者も自分に心を開くものです。我々教職員は、諸君が最善の航路を選択できるよう努力を惜しまぬことをこの式典に於いて列席者皆様の前で誓います。
本学における2年間は、必ずや、諸君の自己実現と共に、諸君の明日を照らすに相応しい意味ある2年となりましょう。更に高みを目指す学生には、ドイツのロッテンブルク林業大学との交流協定に基づきドイツに出向き、学ぶ機会も用意されています。現に諸君の先輩は、このパンデミックの中、ロッテンブルク林業大学を拠点に、高い評価を得ながら勉学に勤しみ、もう1名の卒業生が現在チャレンジを試みています。
また、市民と森林の繋がりを確かめ、多くの知見を得られる場所と機会も諸君の周囲に多く用意されています。岐阜市内には、幼児の時代から森や木を身近に感じて貰う「ぎふ木遊館」が。木遊館と呼応し、本学構内に新設された全世代型のドイツの森の家・ハウスデスバルデスをモデルにした森林総合教育センター「モリノス」があります。
諸君はこうした施設に集う方々から、多様な世代がどのような森を楽しむニーズを持ち、森について何を知り、どのような体感を得たいのかを直接学ぶ事が可能です。そこに集う市民や子供たちとの出会いを通じ、諸君自身もまた成長を遂げる事が出来ると信じています。
このような様々な現場と機会を利活用し、森林の維持管理に対する企画力、創造力を養い、林業、森林環境教育、木造建築、木工の指導者となるために、自己実現と符合した解をこの2年間の中で見出す道筋が、本学には用意されています。また諸君には、先の御来賓の紹介でも申し上げた本学を事務局とする「森林技術開発普及コンソーシアム」参加企業が、幅広にインターンシップの受け皿としての門戸を開いてくださっています。在学中には生きた現場の最新の情報を提供し、更に多くの卒業生の就職をも受け入れて下さっています。
これら多様な本学のネットワークやチャレンジングな機会を、諸君は積極的に利活用し、多様な学びの分野から2年後には各々の自己実現の方向を見出してください。
我々も又、諸君が日々前向きになれるよう、諸君をより望ましい方向に導けるよう、諸君と一体となり、進化を遂げていく所存です。
そして、人々が自然の一員として、自然と共生しつつ、次の世代にこの奇跡の星地球の生命圏がプラネタリー・バウンダリーに近づく事態を遠のけ、人々のウエルビーングな暮らしを担保できる新たな文明像を森林というカテゴリーから追い求めましょう。そうした志が、在学生諸君と今日ここに迎えた諸君を新たに加え少しでも社会に実装あれる2年間であるよう、お互いに努力をしようではありませんか。
ともあれ諸君。諸君らを迎えた喜びをお伝えすると共に、改めてご入学おめでとうと申し上げます。
そして高いところから恐縮ではありますが、本日ご来会の御来賓並びに保護者の皆様方に改めて御礼とお祝いを申し上げさせて頂きます。
令和5年4月10日
岐阜県立森林文化アカデミー
学長 涌井 史郎