20周年 記念式典

歴代学長と知事による20周年記念トークセッション

 

森林文化アカデミー開学20周年記念式典の中で、初代から3代目までの学長と古田岐阜県知事による20周年記念トークセッションが行われました。これまでのアカデミーの歩みをふりかえりながら、これからの20年どのように歩んでいくべきか、それぞれの立場からお話しいただきました。

 

出演者:

熊﨑実(初代学長)/篠田善彦(2代目学長)/涌井史郎(3代目学長)/古田肇(岐阜県知事)

 

設立から20年、森林文化アカデミーの軌跡

涌井:初代学長の熊﨑先生は、開学準備委員会の委員長を含めて7年にわたり、今のアカデミーの礎をかためていただきました。さらに2代目学長の篠田先生は、約5年にわたって、平成25年3月まで学長をお務めになりました。それではまず、熊﨑学長から本学の設立の経過について、お話しをいただければと思います。

熊﨑:どういう考え方で本学を作ったのかをお話ししますが、2003年に発行された『環境会議』という雑誌の中で、僕の考え方を比較的簡単にまとめていますので、それを紹介します。まだ僕が筑波大学にいた頃、当時の岐阜県知事とお話ししたときに、「まったく新しい学校を作ってほしい」とお願いされました。それで僕は、この学校を「地方自治型自由学校」と捉えたんです。これがどういう学校かと言いますと、「この学校は、自然を代表する森と再生可能な木の活用を通して、自然の循環と一体となった持続可能で活力のある地域社会を築く」と書いてあります。なんでこういう学校にしたのかと言いますと、「林学」という学科があった頃は、林業を中心にしてカリキュラムを組むことができました。けれども、当時の森林や林業を学ぶ大学では、1〜2週間のまとまった実習の時間が取れなくなっていました。だからほとんど実地の体験がないまま大学を卒業してしまう。そこをなんとかできないかと考えました。また、岐阜県は非常に大規模な森林が広がっている。ところがだんだん管理されなくなって放置されてきた。そこでそれを活かすことを考えました。さらに、開学準備委員会で一番大きな議論になったのが、「どういう先生たちに来てもらうか」でした。そのとき僕は、林業という狭い範囲にこだわらないで、もっと広い範囲から人材を集めるべきなんじゃないか、と考えたんです。地方自治型自由学校だったら、例えば建築の専門家や、環境教育の専門家に来てもらってもいい。ただ、できるだけ実践力があり、現場をよく知っている先生に来てもらいたい、というのはありました。あと、僕もだいぶクセのある人間ですから、できるだけ自己主張をはっきりとできるような人たちを探しましたが、結構多様な先生が集まったと思うんです。実は先ほど、卒業生のみなさんや、先生方の現在の活動を聞かせてもらって、僕のやったことはまんざら間違ってはいなかったんじゃないかと思いました。

スクリーンは、リモート出演となった熊﨑実初代学長

涌井:どうもありがとうございます。まさに開学の理念である「森と人との共生」が、どこから出てきたのか、ということがよくわかったと思います。熊﨑先生は、岐阜県という場所にこだわりつつも、日本全国、そして国際的な視野の中でこの学校の開学の理念を開花させました。一方で2代目の篠田先生は、地域との連携や地域の中での活動に非常にお力を入れて、美濃市の連携協定というところまで踏み込まれたわけですが、2代目の学長として、どのようなことにご苦労されましたか?

篠田:アカデミーに来て大変驚いたのは、美濃市のみなさんや、当時の美濃市長であった石川元市長が、非常にアカデミーと密接につながっていたことです。また、学生の課題研究も美濃市を中心に捉えているものが多かったことですね。アカデミーの近くにある善應寺(ぜんのうじ)の改修や、美濃保育園の改修にもアカデミーの先生や学生が携わりました。また美濃市では花みこしが有名ですが、その花みこしを学生たちが地元の方に教わりながら作り、アカデミーの学園祭の中で練り歩いたり、産業祭という美濃市のお祭りでも練り歩いたりしました。そういったことからも、美濃市のみなさんとアカデミーが深くつながっていたことを感じ、アカデミーは美濃市があってはじめて作り出されたと思っています。アカデミーのこれからの発展のために、各地方とのつながりを深めて、岐阜県をさらに盛り上げていただきたいと思っています。

涌井:ありがとうございます。いまお話しがございましたように、熊﨑先生と篠田先生は、「人と森との共生」という考え方のもと、今でこそ当たり前でありますが、その当時はなかなかそれが常識ではない状況の中で、グローバル、あるいはユニバーサルにお考えを広めて、なおかつ2代目の篠田先生は、それを具体的にローカルにどう展開するのかという流れがあったんじゃないかなと思います。

篠田善彦2代目学長

 

飛躍の舞台となった、全国育樹祭

涌井:実は第29回全国育樹祭が岐阜県で開催された際に、ありがたいことに当時の皇太子殿下、現在の天皇陛下がご臨席をされて、しかもはじめての経験で自らご間伐なさいました。その縁で、本学にもご来訪されましたが、これについては当時大変なご苦労があったということを、古田知事に伺いたいと思います。また全国育樹祭を通じて、このアカデミーの位置づけについてご感想がございましたらお話しをいただければと思います。

古田:初代、2代目の両学長がいろんなご尽力をされていたわけですけれども、それを外に大きく見えるように展開するような舞台となったのが、平成27年の全国育樹祭でございます。管理者を含めて15万人の方が参加をされましたが、私たちはこれこそアカデミーの魅力を思い切って大きく打ち出していく良いチャンスなんじゃないかと思いました。なんと言ってもハイライトは、先ほども話がありました当時の皇太子殿下の間伐であります。それまでの育樹祭は、施肥をするしぐさなど、ちょっとしたしぐさだけで終わっていたのですが、皇太子殿下に本格的な間伐をしていただこうと考えました。ただそれは前例がないことなので、宮内庁と相談したところ、結構であると許可が下りたわけであります。場所は揖斐川町ですが、昭和32年の全国植樹祭で昭和天皇皇后両陛下がお植えになった場所でございます。その後、昭和51年に平成天皇、当時の皇太子殿下ご夫妻がご来訪され、お手植木の保育作業をご覧になりました。そのとき、いたく感じられるところがあり、そこから育樹祭という発想が生まれ、昭和52年から育樹祭がはじまりました。ですから岐阜県は育樹祭の第0回開催地であり、まさに発祥の地だと言えるわけであります。そしてさらに、現在の天皇陛下が皇太子殿下としてご来訪され、まさに親から子へ子から孫へと、文字通り同じ場所で三代に渡って、森の木にお手を加えられました。当時の皇太子殿下は、木にしっかりとのこぎりをあてていらっしゃいました。お帰りになる際に、今でも覚えていますが、「人生で最高の思い出をいただきました」とおっしゃっていました。間伐の介助役を担ったのがアカデミーの学生で、その際にアカデミーのこともすこしご紹介する機会がございました。涌井学長のご説明に非常にうなづいていらっしゃった姿も印象的でございました。育樹祭という行事をきっかけとして、アカデミーがそれまで続けてきた連携やネットワークづくりといった活動を、地域から全国へ、さらに世界へともう一段大きく広げていこうと変わってきたのかなと、そう感じております。

涌井:大変得難いお話しを、私の中にストックいたしました。ありがとうございました。古田知事はサラッとおっしゃいましたが、恐らく知事も私も、皇太子殿下が自らのこぎりを入れていただくまでの経過というのは、100ページくらいのページ数を労しても足りないほど、物語がございました。しかし、いずれにしても大事なことはサクセッション(継承)でございます。植えたものを育てるという育樹祭に、伐るという行為を入れて、世代交代、更新をしていくという考え方は、なにも森林だけのものではないなと思っていますが、皇太子殿下が実に見事なお言葉で、間伐の大切さということをおっしゃっていただいたときには感動いたしました。しかも本学にまでご来訪いただきました。当時の学生が、とんでもない人をお迎えしたんだな、とんでもない人と会話をしたんだなという実感を、今頃になって持っているんじゃないかと思っています。当時は美濃市の市議会議員の先生方も全員お呼びしまして、廊下でご挨拶いただいたことが記憶に残っております。

古田肇岐阜県知事

 

これからの20年、目指すべきアカデミーの姿

涌井:さて、おかげさまで森林文化アカデミーは開学20年を迎えたわけですが、今後の20年、私は非常に大きな転換点が来ると思っています。というのも、パンデミックというのは必ず次の文明を生んだ歴史があります。ポーランド・ハンガリーにモンゴル軍が侵攻して、ペストがヨーロッパに広がり、ヨーロッパ人の3分の1が死にました。その後、教会支配の中世が終わってルネッサンスが起きるんですが、これが中世から近世への転換でした。近世から近代へ移ったのもパンデミックが介在していまして、大航海時代になってコレラがヨーロッパに流入することによって、はじめて都市の公衆衛生を考えなければいけないという発想が生まれたのですが、ここが近世から近代への転換でした。いま、75億人の地球人口が同じパンデミックにかかっています。しかも人間が自然を壟断(ろうだん)することによって、人類共通のパンデミックが起きたと言われています。いま世界中で、改めて自然の持つ循環や再生のちから、そうしたものを奪わないようにどうやって地球のキャパシティを大事にしていくのか。同時に、さまざまなかたちで森林が果たす社会的な便益は、きわめて大きいんだという考え方が広がっています。新たな文明がひょっとすると到来するかもしれない。そういう中で、この森林文化アカデミーが、これからどういう方向でいけばいいのか日々模索をしているところでありますけれども、熊﨑先生、どんな方向がいいのか、聞かせていただければと思います。

一番左が涌井史郎3代目学長

熊﨑:2007年頃、日本木質ペレット協会や日本木質バイオマスエネルギー協会ができはじめて、その両方の会長を務めることになり、僕はアカデミーを辞めたのですが、その時点では、研究生活に戻ることは全然考えていませんでした。ところが2013年に、ヨワヒム・ラートカウの本を紹介されたんです。僕はすっかり魅了されて、それからヨワヒム・ラートカウの研究に入りました。1980年代、90年代はドイツの林業にとって悲観の時代で、林業はダメだって言われていました。ところが2007年に出版されたラートカウの『木材:自然素材はどのように歴史を綴るか』(ドイツ版)の中で、「これからは木の時代だ。木のルネッサンスがはじまる」って言ったんです。彼が主張したのは、技術進歩ですね。北米や北欧は、わりと平らな部分が多いので、大きな機械が入って、大規模な伐採ができたんですが、ドイツには大きな機械が入らなかった。ところがどんどん技術が進歩して、小さな機械でも効率よくこなせるようになりました。この技術が入ってきたおかげでドイツの林業はよみがえったんです。ところが日本は、この技術革新に乗り遅れたんですよ。2018年に僕は『木のルネサンス:林業復権の兆し』を出版しましたが、このなかで僕がいちばん意外だと思ったのが、技術革新が日本では全然進んでいないことでした。1950年代から2010年代にかけて、ドイツの木材生産量は3倍になりましたが、日本は3分の1になったんです。ところが、この技術進歩というはとても速くて、ひょっとして林業という産業は、これから20年くらいで一変するんじゃないかって言われているんです。日本の場合は、地形が複雑で、大きな機械が入らなかった。ところが今のAIと高速のコンピュータを組み合わせることで全然違った林業になる。つまり、林業は山に行って木を伐る大変な作業で、山行くのも、シミュレーションをするのもほんと大変だったんですけれども、ところが、AIやいろんな機械を使うことですぐに情報が集められる。それによって状況がまるで変わってくるわけですね。それで、いま勉強しているのが、ジェームズ・ラブロックの『ノヴァセン(Novacene)“超知能”が地球を更新する』です。超知能というのが、山の条件の悪かった林業をパッと変えるんじゃないかって僕は思っています。このラブロックというのは、100歳のときに新しい本を出版したんですけれど、僕が100歳まで元気でいられるんだったら、まだ10数年ありますから、その間にもう一冊、本を出して死にたいなと。課題だと思っています。

涌井:どうもありがとうございます。先生のおっしゃっているのは、ドッグイヤーっていいますけど、人間よりも技術の進歩は3倍から8倍くらい早い時代がくるので、林業についても、非常に先を見るべきなんじゃないか、今までと同じような歩速で学んでいくのではなくて、スピードアップしてしっかり考えていけという激励だと思うんです。篠田先生は今後の20年、何をしたらいいのかと思いますか?

篠田:コロナの時代から大きく社会が変わっていくと思うんです。その中で今考えるのは、木育ですね。アカデミーの演習林でも森のようちえんをやっていますが、森のようちえんは全国的にも広がっています。子どもの教育の中で、木とのつながりや木とふれあうことの大切さが少しずつわかってきたと思います。恐らくこれからの時代、自然に戻って、自然を大切にし、自然の中で我々の心を癒すような、そういう豊かな心を作る学校、これがアカデミーだと思うんです。全国的にこういう学校が必要だということがわかってくる時代になると思います。また、木と人間とのつながり、特に子どもと木のふれあい、木育というのが今後重要になっていくと思いますから、「木遊館」のような木育施設が、全国的に広がっていく時代になると思います。

涌井:ありがとうございます。おふたりに私はプレッシャーをかけられていますが、古田知事、こうなったらもっとプレッシャーをかけていただきたいと思っています。

古田:パンデミックを通じて、世の中大きく変わっていきますが、その変わり目で徐々にいろんな業務が精査されつつあります。ひとつはデジタル化。私たちは、誰も取り残されないデジタル化を目指し、そして触れ合いやリアルを大切にするデジタル化を実現していきたいと思っています。もうひとつは環境保全。このアカデミーが目指す「人と森との共生」は、まさに「地球と人との共生」、「自然と人との共生」と言えると思います。それから、長年にわたって東京一極集中と言われてきましたけれど、パンデミックの衝撃による新しい地方のあり方が問われていると思います。そのひとつひとつに対して、森林文化アカデミーという現場で何が発信できるのかということを思っております。卒業生の話を聞くと、もっといろんな人に知ってもらいたい、来てもらいたい、という意見が多く、アカデミーを知れば知るほどそういう気持ちになるのだと思いました。涌井先生はいつも現地現物主義、現場主義というのを大事にしておられますが、まさにアカデミーは森林という現場での実践者を育てることを通じて、先ほどの大きな課題に対して、アカデミーとして何を発信できるか、発信することでより多くの人に知ってもらう、こういう流れができればいいなと思っております。

涌井:大変ありがとうございます。初代の学長、2代目の学長、そして知事からたくさんの宿題をいただきました。先ほど申し上げた通り、今までは科学も産業もエゴイズム、つまり人間が中心なんだという考え方でしたが、これからはエゴから濁点を取ってもらう。エコイズム、エコロジー。どうやってその濁点を取るのか。その取り方は一体なにかというと、我々が生き物だという原点や、生き物は植物の世界、とりわけ森林の世界の中で様々な生態系サービスを生みだしており、それが豊かであることが健康であること。つまり、「ワンヘルス」という、地球が健康であるから我々も健康であるということ、それを高いところから下に降ろしていくのではなくて、現場の実感からそういったものを汲み上げていくという役割を、森林文化アカデミーは務めていくべきだなと、改めて感じたわけであります。本日はさまざまなご協力をありがとうございました。時間になりましたので、これで終わります。どうもありがとうございます。