アカデミー開学25年。「四天王」は今、何を語る?
11翔楓祭特別企画で座談会開催!
岐阜県立森林文化アカデミーは今年、開学25年を迎えました。
翔楓祭実行委員会は特別企画として10月1日、学生間で密かに「四天王」と呼ばれている4人の教員に集まっていただき、アカデミーのこれまでとこれからを考える座談会を開催しました。
「四天王」の名は、開学時から教員を勤められて来た小原勝彦教授(木造建築専攻)、辻充孝教授(同)、津田格教授(林業専攻)、柳沢直教授(森林環境教育専攻)の4人。25年間、森や木々に関わろうとする学生を見守り、社会に送り出して来た4人は今、何を思い、何を語るのか−。座談会の概要を紹介します。
Q,アカデミーは今年、開学25年を迎えました。これまで社会に送り出してきた卒業生は826人。どんな印象でしょうか。
柳沢:あまり意識して考えたことはありませんでした。まだ千人いっていないんだと。大きな大学だとこの人数が1年で出ていったりする。そういう意味では、丁寧に学生を少しずつ社会に送り出してきた気がします。
津田:千人くらいかなとは思っていました。結構送り出してきたなという印象はあります。林業の仕事を続けている人もいれば、辞めてしまった人もいる。その辺は寂しいところもありますが、(卒業生の中には)今でもつながっている人もいます。SNSなどを通じて卒業生と今も関われているのはいいなと思っています。
辻:25年経つと卒業生のお子さんが入学することがあり、入学生のインパクトが強いタイミングが何回かありました。また、1期生が25年前に卒業ということで、当時18歳の子がもう中堅どころか、いいところまでいっていてそういう人と仕事をする機会もあります。これだけ年月が経って対等に仕事ができる卒業生がいる強みは大きいですね。
小原:8月末に母校の研究室のOB会があって自己紹介をするのでアカデミーの木造建築専攻の卒業生を数えていたら95、96人くらいということは知っていました。全体の卒業生数は知らなかったので、800人以上いるんだなと数字を見て改めて実感しました。
Q,25年前と現在で学生の雰囲気に変わったもの、変わらないものはありますか。
津田:初期のころはエンジニア科にも年齢の高い人が多くて、その辺が今のエンジニア科と雰囲気が違うかな。それ以降もしばらくは30代以上の人が1、2人いてエンジニア科をまとめてくれ、ある意味教員としては楽でした。今は大学出てすぐの子はいますが、年齢が高い人はあまりいません。その辺はだいぶ雰囲気は変わりました。昔は意見を言う人が多くて、授業の内容や専攻の再編も学生の意見を聞いてきたところがあります。最近の学生は全体的におとなしめかなという印象はあります。
辻:クリエーター科はそんなにイメージは変わっていませんが、木造建築専攻を取り出してみると、昔は「不夜城」と言われていました。夜、誰も帰らないくらいずっとこもりっきりでやっている学生が多かったです。最近は学生の効率が上がったのか比較的帰れているのかな。クオリティーが落ちているかと言われるとそうでもありません。学生の効率が上がってきてホワイトな学生生活になっている気はしています。昔頑張った経験は後で自信になって残ると思うので、「ここはこだわってやりたい」という日は何日かあってもいいかなと個人的には思っています。
小原:1期生の話をすると、アカデミー開学の時は1年生しかいない。教員だけでなく、学生も一緒になってアカデミーをつくっていこうという思いがヒシヒシと感じられました。翔楓祭の準備も8月ぐらいからみんな毎日のように徹夜でやっていました。今でも覚えていますが、翔楓祭の当日に私がダウンして、教員宿舎の隣に住んでいた津田先生がベランダから入って来て助けてくれました。
津田:そんなことしてないですよ。(笑)不法侵入になる。でも、ベランダの施錠はしておいた方がいいですよね。(一同笑い)
柳沢:エンジニア科には、昔はヤンチャな学生が多くいました。授業はほとんど聞いていないし、机の上に足を投げ出しているし。しかしそういった子が卒業後ダメとかではなくて、林業事業体に就職すると評価は高い。「アイツは使える」と。座学に興味はないけど、現場の仕事に興味がある。実習に出ると生き生きとする。その評価は分からないこともない。良くも悪くもそういう子がいなくなってきました。今はみんなそれなりにヤンチャかもしれないけどそこまで突き抜けていない感じかな。
純真な子が多いというのは今も昔も変わりません。ツッパっているんだけど、漫画の主人公通り。見た目はおっかないけど心は優しい。「俺は先生を傷つけてしまった」と言って山で一人暗がりで泣いていた子もいました。一般の大学で教員をやっていたらそういう子と出会うことはほとんどなかったと思う。今振り返ると懐かしく、印象深いです。
Q,木造建築専攻の「自力建設プロジェクト」は、この学校の特色ある取り組み。どのような経緯で始まり、今の形になったのでしょうか。
辻:「自力建設」は、初年度から始まったプロジェクトです。1年生にとっては入学していきなり課題を出されてお尻から火が付く状態で過ごすと思いますが、1年生が終わったころには何となく自分がやってきた道筋が見えてきて、建築の全体像が分かる。2年生になって「構造を突っ込んでやりたい」とか「温熱をやりたい」とか、登るべき山が見えてきます。そういったことができるいいカリキュラムだと思っています。海外から視察も来ていて、ここまでやっているところは少ないと思います。
近年はプラスアルファして改変もしています。「自力建設」で建てた建物は、10年、15年経つと劣化してくるという問題が出てきました。メンテナンスをやらないといけないということで、2年生のカリキュラムで改修計画を立てて修繕するプログラムができました。
「自力建設」は、日本建築学会の教育賞をいただいています。アカデミーの建物も建築学会賞を受賞していて、恐らく日本で唯一、ハード面とソフト面で学会賞をいただいているのがアカデミーです。
小原:大きく変わったところだと、初年度は「自力建設」に掛けられる経費が700万〜800万円くらいあり、建物自体に二百数十万円くらい掛けられました。(その後予算が減って)今は基礎をいかに小さく作るかという、実務者でもハードルの高いことを建築を始めて1、2ヶ月の学生に挑戦してもらうのはかなり酷だなと思いつつもやっていただいています。
アカデミーの建物の構造設計をした稲山正弘先生が東京大学の先生になられたときに東大の学園祭で架構(構造体)を2、3日だけ作るというチャレンジをされていて、アカデミーでやっていることをいろんなところが真似したいと波及しているのかなと思っています。
Q,「県立」の学校として、岐阜県や美濃市といった地域に果たしてきた役割は何だと考えますか。
柳沢:この学校ができた時に「地方自治型自由学校」というのを標榜(ひょうぼう)していました。当時の熊崎実学長の解釈で言えば、「地域の困りごとを自由な教育で解決していく」というコンセプトです。そういう意味では、アカデミーができたことで岐阜県内の困りごとを解決していくということになる。(昔あった専攻の)「里山研究会」は大垣市の上石津町というところにターゲットを絞って、地域の問題を解決するということを続けていました。自然エネルギーを使って地域が自立しようという考えがあるなかで、バイオマス利用を進めるにはどうしたらいいか。地域の森林や熱需要がどうなっているかを調べました。それを地域がどう捉えていたかは別ですが、結果的にそれが後の「木の駅プロジェクト」に直接ではないにしろつながっていたのではないかと思います。「地元の里山をどう使っていくか」という視点は大事です。
今、ナバさん(萩原・ナバ・裕作教授)がやっているような「森のようちえん」の活動はまさに地域の問題をうちの学校発で解決していこうということですよね。環境教育としてはそちらの方が分かりやすい。
津田:県からは「県内林業従事者を増やしてほしい」と言われています。特にエンジニア科は県内で8割就職させてと。それなりに林業の仕事に携わってくれている卒業生は多いです。そういう意味では貢献していると思っています。個別の話をすると切りがありませんが、美濃市の森林組合にも結構卒業生が入っていて、アカデミーとのハブ的な役割をしてくれています。あとは起業して林業機械を開発している人や、演習林のデジタルコンテンツ化をやっている人もいます。
辻:津田さんの話に加えると、1〜3期生は美濃市内で起業する学生が多かったです。建築で言うとNPO法人「WOOD AC」があります。もともとは滝口泰弘さん(1期生)が設計事務所を開いて、2期生が卒業する時に単独の個人事務所ではなく広くメンバーを集めて行政の仕事を受けられる母体をつくろうということで合同でつくったNPO法人です。林業だとNPO法人「杣の杜学舎」が今も残っています。地域の困りごとをアカデミーと卒業生が連携して解決していくような母体が開学当初の段階でできて、そこに就職する学生がいるなど広がりが生まれています。
他には「専門技術者研修」という学生とは違うプロ向けの研修を続けていて、県内実務者が結構来られています。その中で県内の木造建築のレベルや知識量が上がってきていると実感しています。
小原:木造建築の構造に絞って話をすると、研究と実務の乖離みたいなところがあります。アカデミーに来る時に研究者と実務者の構造に関する「構造インタープリター」のようなことをしたいと思っていました。今でも美濃市に木構造拠点の「ストラクチャルバレー」をつくりたいと願っています。
木構造には「大臣認定」というものがあって、アカデミーで試験した結果が審査の際に使われると審査の先生から「岐阜軍団の小原が来た」みたいな感じで言われます。木構造というと「岐阜、美濃」というイメージがあると思います。ただ、それは研究のレベル。研究の内容はものすごく深くて最先端を行っていますが、そういったものが実務に落ちるだけでかなり革新的な木質構造になります。そこをつなぐ人が本当に少ない。僕だけでなく卒業生の力も借りてやり始めてきているのかなと思っています。
また、美濃市には重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)があります。2005年に美濃市で「全国町並みゼミ」が開催された際に日本で初めて構造の分科会が開かれました。当時は日本初だったので珍しかったです。そこから派生して、郡上市の重伝建の審議員に構造の専門として呼ばれてやらせていただいています。多分、重伝建の審議員で構造が入ったのは僕が初めてか初期のころだと思います。構造のイメージとして、解析をしたり木を壊したりしているイメージがあると思いますが、地域に関われていることもあります。
Q,アカデミーは2014年にドイツのロッテンブルク林業大学(以下、ロッテン大)と連携を始めました。ドイツと日本の森林・林業を巡る環境の違いをどのように感じていますか。
柳沢:私の限られた体験から言うとまず、根底に「石の文化」と「木の文化」の違いがあって、向こうはあまり建物に木構造を使ってこなかったですね。それから、自然の価値に関する見解の相違というのがあります。向こうの生物多様性、森林の多様性はすごく低いんです。例えば日本ではカエデの属が28種類ほどありますが、ドイツでは7種類くらいです。ヨーロッパ全体でみても13種。それくらいの差がある。
ドイツはシュバルツバルト(黒い森)が有名ですが、ほとんどは人間が林を切り尽くした後に造林してつくった森です。だから「自然」という感覚では多分ないのかもしれません。なので、造林木に外来種のダグラスファーを使うことに関してドイツではためらいがないと思いますが、日本だと少し違和感がありますね。スギ・ヒノキだからいいけどあれをいきなりダグラスファーの林が山を覆っていたら、少しでも林業をやっている人なら違和感があると思います。お隣の韓国だって、外来種を一斉造林しているし、意外と日本は在来種だけで林業をしているので、そういう感覚の違いもあると思います。
あとは「木の文化」ということで言うと、日本も失われているかもしれませんが木目を愛でる文化、銘木というのが向こうには一切ない。だから、(丸太の)階級はあるかもしれないけど結局、「粉にして固めたら一緒」という乱暴に言えばそういう発想もあるのではないかと思います。それに対して、日本は1本1本の木を大事にするし愛でる文化があります。
もう一つ言うと、降水量と気温が日本と違います。北海道の位置がドイツの南部に相当する。寒くて乾燥しているので、林業の「下刈り」の必要がありません。向こうの人は日本に来ると「人工林を伐採して、そのまま放っておいて生えてきた木を利用すればいい」と言います。でもそれは向こうの発想で、ドイツでは(伐採後に)使える木が生えてきます。日本でそんなことをしたらアカメガシワやクサギの林になってしまいます。使えないですよね。それを実感として分かっていない。よく地形のことが言われているんですけど、向こうはなだらかで日本は急峻だと。でもそれ以上に元々の自然が違うと感じています。
津田:柳沢さんも言われたけどダグラスファーを植えていこうみたいなものはあります。それは、日本だと「うーん」と思うところがある。でもそれは致し方ないところがあって、特にドイツ、ヨーロッパは気候変動の影響を受けていて温暖化に伴う虫害の影響でトウヒが枯れてどうしようもない状況。そういう意味では、ダグラスファーなど外来のものも植えざるを得ないというのは仕方がない。日本は今そこまでではないけれど、ひょっとしたらそうしたことを考えていかなければならないことになるかもしれません。
ロッテン大の教育を参考に、アカデミーでは今年から獣害対策プログラムが始まり、新津裕准教授と中森さつき講師が担当しています。ただ単に狩猟だけではなくて、動物の生態などを含めて学べるようになっています。ロッテン大では森林のデジタルコンテンツ化が進んでいて「36o.de」というサイトがあります。日本語版をアカデミー卒業生でロッテン大に留学している小原光力さん(18期生)が監修しています。
辻:ドイツにも伝統的な木造建築はそれなりにありますが、ロッテン大の先生に紹介されるのは新しい建築が多く「エンジニアードウッド」と言われる合板や、「OSB」という木材をチップにして固めたような製品にばらつきのない工業製品的な素材を使った建築です。
大型製材工場では3Dスキャンを使って材料を一括で見ながら効率よく木取りをしていく。その中で木目を見るようなことはなく、合理的に機械を止めずにひき続ける、あるいはチップにするところがあります。どちらかというと機械的に加工して合理性を重視する方向に行きつつあると思いました。
日本も大規模合板工場ができてシステム的に集めたものを合板にしていくというのはありますが、岐阜県内は小さい製材工場があってきちんと木目を見ながら、あるいは御神木みたいな大きな木は機械を止めてでも、畏敬の念を持ちながら材料を料理していこうという、文化的な側面が残っています。もう少し合理化すべきところもありますが、材料の特質を見ていくようなところを残していくのが日本的で、バランスを取りながらお互いの長所を生かすような情報交換ができるといい。
小原:驚いたのは普通の小さな工務店さんが、長さ10m以上、高さ3mぐらいの(木質の)壁1枚を工場で作っていました。工場で作るので雨が降ろうが工事は進みます。あとは、それをトラックに乗せて運んでブロックのようにして家を作る。現場で家を作るのは「2、3ヶ月で家が建ちます」と言われていました。だけど、その技術を日本にそのまま持って来られません。というのも、日本だと道路が狭いのでそのような大きな壁を運べません。ドイツだと車に乗せてしまえば、道路がずっとつながっているのでどこまででも運んでいける。道も広いし、車もデカくてパワーもある。真似したくても日本のインフラでは難しい。違いを見ながら、いいところは取り入れていくことが必要かと思います。
Q,今年1月に「森林文化アカデミービジョン2040」が策定されました。その中で「FbS」(Forest-based Solutions)という言葉が掲げられています。具体的にどのような人材育成を考えていますか。
柳沢:森林環境教育に寄せて考えると、森をまず知ることから始めるということです。森を活用するにはまず、森をよく知っておかなければなりません。森を知ってそれを活用できる人材を育てる。
そのためには良い現場と、理論と実践のサイクルが必要だと思います。現場に寄り過ぎてもいけないし、理論に寄り過ぎてもダメ。とんがった研究があったとしても現場に落とし込んで試してみる。そこからまた新しい課題が出てくる。そのサイクルを大事にできる教育が必要かなと思っています。そういう意味では先ほど話した「地方自治型自由学校」には意味があって、地域の課題から問題解決のために必要なことを探っていく。それを地域の中に閉じこもるのではなく、そこで出た知見を県外、国外に発信できれば、うちの学校の意味はあるのではないかと思っています。
津田:林業的な視点で言うと、林業経営において経済的なことばかり考えると森が荒れてしまう可能性があります。森林の公益的機能をうまく発揮させる森林管理を行えば「FbS」につながってくる。そういう意味では、健全な林業をやればいいんだと思います。それでも生物多様性の保全や環境により一層配慮しなくてはいけません。「樹木同定」の授業も森林の資源をうまく使って「より健全な森の利用をしていこう」ということにつながってくると思っています。木を利用する人たちもちゃんと考えてほしいところではありますね。
ロッテン大では「エコグラム」というものを作っていて、そこにいる植物から環境を判断する指標となるものを作っています。樹木だけではなく、草本やシダなどを含めて学生に教え込んでいます。その辺はアカデミーの方が弱いものがあるので、カリキュラムに取り込んでいけたらより「FbS」につながる教育ができるのかなと思います。
辻:「FbS」は、森林というフィルターを通してどのような解決策を考えていけるかということ。この夏も相当暑かったですよね。気候変動が複雑化してきて、これから地球と人がどう共存していくのかを考えていかなければいけない。そういった時に、森林の機能というのは非常に優秀で、温暖化ガスの代表格のCO2をある程度若い木は固定しやすいところがあって、これを更新しなければならないのももちろんあります。
それから、水の問題やクマが降りてくるという問題もあります。これらは森林の多様性が減るなど、いろいろな課題が集約されているのかなと思います。私たちがこの社会で活動を続けるにはどうするかをそれぞれの分野で考える時に、建築だと基本的には今まで鉄骨やRCで作っていたのを木造化に落とし込みつつ、木を適正に使っていくことは一つあると思います。それによって、木の更新が行われる。ただそれを今まで通りの単純林で再造林していくのかどうかは林業の方で考えていくべき話かもしれません。無駄に使いすぎると明治時代以前のようにハゲ山になってしまうので、的確に使うというのが重要です。
建築をやる側としては、在来軸組工法の柱・梁が大きな空間を作りやすかったり、必要に応じては面材として使う場合もあったりと、どういう風な使われ方がいいかと考えなければいけません。
小原:建設だと「FbS in Architecture」だと思います。森林からいろいろなものもらってばかりで、解決させてもらっていてもどうかなと。その逆も必要かなと思っていて、「Architecture-based Solutions for Forest」。つまり森林の方にも返すことができるような双方向のことができる人材を育成していけると良いと思っています。
(アカデミーが設計に携わった)美濃市の道の駅は、普通の建築では使わない、川上の山から出て来たままの(大きな)材の規格で建築しました。建築の規格に合わせるとどうしても余分なところを削ぎ落とさないといけない。それはすごくもったいない。建築の課題解決もするけど、そこから森林の問題の解決もできるような人材育成に進んでいけばいいと思っています。
Q,「いい組織にはいい文化がある」とよく言われますが、アカデミーが25年間培って来た「文化」は何でしょうか。また、次の25年に向けて「こんなアカデミーを目指してもらいたい」といった展望を聞かせてください。
柳沢:良くも悪くも学生に手厚く、学生と教員が比較的フラットですよね。それはうちの学校の特徴かなと思います。良いことも悪いこともあるかもしれませんが。
(アカデミーの将来像については)次の世代が考えることかなと思います。私が何か言ってそれに縛られるような人たちでもないし。逆に「〇〇であるべき」というのが強すぎる学校にはなってほしくないかなと。個性があるんだけど、お互いが尊重できていれば多様性は維持できる。それは学生の年齢もそう、どういう人がどこから来るかもそうだし、教員の方向性もそう。
「お前とは全然違う」という人がいても組織として受け入れてまとめていける姿が私はいいと思います。そうでない意見もあるかもしれませんが。
津田:同じようなことを言おうと思っていました。教員と学生の距離が近くて、それぞれが専門のことを学んでいて互いに専門性を尊重しながら交流しています。翔楓祭などのイベントで(そういった側面が)すごく見えてくる。アカデミーならではの文化と言えますが、そういうところはいいと思っています。
25年先のことまでは分かりませんが、今いる学生に言うことであれば、こちらが伝えたいことはいろいろある。伝えたいけれど全部言葉にして伝えている訳ではありません。今の学びが何につながっていくのかを考えて深めてほしい。「樹木同定」の授業でも植物の名前を覚えるだけではありません。いろいろな情報を僕らも伝えています。そこから発展していくことがすごくあると思います。クリエーター科の授業では60種類くらいしか教えていないけど、そこからさらに「見たことがないやつがある」というので広がっていく部分もある。学びを深めていく努力をして、それを次につなげてほしい。それが多分10年後、25年後につながっていくと思う。山や森林に関わる関係人口を増やしていきたいという思いがあるので、それぞれがそういう努力を続けていってほしい。
辻:基本的に同じです。教員、学生、事務局を含めて言いたいことを言い合える環境があります。専攻の変遷を見ていても学生から言われて変わっていった場面もあったり、カリキュラムが変わったりしたこともあります。今の学生も「これどうなの?」ということは随時教員に言ってもらえたら翌年から変わっている可能性もあります。言い合える環境でより発展させていく文化。変わっていける文化だと思います。
「FbS」という話がありました。基本同じ方向を向いていて、それぞれが活動を高めていきながら、(外部の人から)「アカデミーの卒業生なんだ」とか「アカデミーってすごいよね」と言ってもらえる人材を育てて活躍してほしい。ここにいたことを誇りに思える学校になっていくようにそれぞれが努力すれば、時流に合わせて変化していくかもしれないけれど、それがいい学校なんだろうなと思います。
小原:「個性」の文化かなと思っています。お互いのアイデンティティを尊重しています。あとは3人の先生がお話しした通り。「個性の融合体」みたいな文化があると思います。
アカデミーにこうなってほしいという思いがあります。(自分が学生時代の)研究室にすごく優秀な後輩がいました。修士課程に上がってくるような人でしたが、進路選択の時にお父さんが亡くなられて働かなくてはいけなくなり、学部卒で就職しました。自分が「学びたい」と思っても学べないということがあります。「次の25年に向けて」というよりは明日からでも、学びの実質無償化ができたらいい。建築専攻の学生には学費は無料にはできませんが、少しずつその分をフォローできる範囲でやらせてもらっています。学費と、できれば生活費を含めて無料で「学びたい」と思える人が学べるそんな学校になってもらえるといいと思っています。
三澤文子・名誉客員教授も参戦!
座談会には、偶然授業でアカデミーを訪れていた三澤文子・名誉客員教授も聴講者としてご参加いただきました。座談会を振り返っての感想は以下の通りです。
「開学当時の思い出が蘇ってきて懐かしくなりました。開学時は本当に大変でした。個性的な先生が多くてケンカまではいかないけど、いろいろなことがありました。今は、非常にいい学校にいたなという思いでいっぱいです。今でもアカデミーに年に1、2回は来ますが、アカデミーのことを『桃源郷』と言っています。木造建築専攻の非常勤の先生やゲストの講師の人はみんな『本当にいい環境ですごい教育をしている』と言ってくれます。学生の皆さんはこの環境を十分に満喫してください。そして、それを卒業後に語ってほしいと思います」
聞き手・構成 林業専攻1年 五十嵐妙予
木造建築専攻1年 坂巻陽平
スチール 林業専攻1年 毛利剛





