学長メッセージ
涌井史郎学長から新入生の皆様へ
諸君ご入学おめでとう。本日本学は、森と木のクリエーター科18名、森と木のエンジニア科23名、計41名の入学生を迎える事が出来、心からの喜びを申し上げます。
諸君らも我々と同様、100年前のスペイン風邪以来のパンデミック、見えない敵との闘いという歴史的不幸と向き合っている最中です。
本来ならば日頃より本学を支援して頂いている、岐阜県関係者、地元美濃市など県下自治体、諸君らに奨学金を給付してくださっている金融機関、そして本学を事務局とする林業・林産業を構成する山元、林産物加工業、工務店など上・中・下流を一体とした岐阜県森林技術開発・普及コンソーシアムの方々がこの式典にご参集いただき、諸君の入学に祝意をお示しいただくところでありますが、この戦いに悪影響をもたらさぬようご遠慮いただいた次第です。
しかし本日お見えにならなくとも、多くの関係機関や事業体の皆様が、今日より始まる諸君の学びに対し、変わらぬ大きな期待と支援のご意志をお持ちになっていることを忘れないでください。
再びパンデミックとの戦いに話を戻しましょう。諸君らはひょっとしてこの問題を厄介な伝染病の世界的拡散と矮小化して捉えてはいませんでしょうか。さらに言えば、本学で学ぶ意義とこの問題は無縁であると片付けてはいませんでしょうか。それは違います。
歴史を振り返ってください。こうしたパンデミックは常に大きな歴史的文明的転換を我々人間社会にもたらしています。13世紀にモンゴルがポーランドやハンガリー・ドイツを侵略するに及び、ユーラシアを起源とするペスト菌が持ち込まれ、当時の欧州の人口の3割から6割を死に至らしめたと言われています。このことがキリスト教会が支配した中世封建社会に対する人々の懐疑を招き、ルネッサンスを誕生させ、近代に向け足を一歩進めたと言われています。また19世紀半ばに、東インド会社等急速な東西貿易が拡大するに及び、インドを起源とするコレラが欧州並びに日本にも流行し、多くの人々を死に至らしめ、これが産業革命に拍車をかけ、それによる不潔な都市を公衆衛生という観点から下水道の整備など都市を大きく変革させ雇用主と労働者の関係すら大きく変えたのです。第一次世界大戦の兵士が運んだスペイン風邪もまた歴史を変えました。
我々自然を相手に学ぶ者たちは、今のコロナウイルスによるパンデミックとの戦いは、大きな歴史的変化を人間に求める超越的存在との闘いであることを認識しましょう。ではどのような戦いなのでしょうか。それは、生物種の一種でしかない人類があまりにも地球の生命圏を構成する生態系のシステムに大きな負荷をかけすぎてきた結果がその背景にあることを理解すべきです。何故ならば自然生態系の中に存在をしていたウイルスを食欲等の人間の欲望をきっかけに人間社会に引き出してしまったところに原因があるからです。戦いの相手は、なんと我々自身なのです。地球が持つ生態系のメカニズムに背を向け、自然とは我々人間がすき勝手に利用できる資源であると錯誤した我々自身との闘いに勝たねば、仮にコロナウイルスを克服できたとしてもいずれまた同じような病原体が我々を脅かすことになりましょう。
諸君を含めた我々はこの人類史にかかわる戦いの重要な兵士であります。人類が自然と共に生き残るための戦いを勝利に導くために我々は大きく貢献できるのです。
何故ならば、歪みを大きくし、パンデミックなどを引き起こす生態系の安定を図る大きな要素こそ森林であるからです。例えば、グローバルには地球環境問題に関わるCO2の吸収源、ローカルには農業やモノづくり産業において条件不利地といわれている中山間地にありながら、生態系の基盤であり且つ多面的公益性を持ちつつ経済的地域創生の大きな可能性を秘めた森林資源。諸君はまさに今日からそれに関わる学びを始めようとしているからです。
さて、本学は、2001年4月、「森林と人との共生」を基本理念とした自治自由学校として林業短期大学校を再編し、全国唯一の森林を主題とした専修学校として開学しました。以来18年、森や木とゆかりを深め、それを職能として専従する価値ある人材を多く社会に輩出しています。
先に述べたように、我国は、国土面積の67%を森林が占めています。まさに「森の国」と言っても良い国柄であり、ここ岐阜県は県土面積の81%を森林が占める全国2位の森林県です。しかしながら本県を含め、我が国の森林が、今日目にする蓄積量を持つに至ったのは僅か数十年の歴史でしかありません。実に新しい姿なのです。歴史的に人口が増加するに連れ、供給量をはるかに上回る森林資源の消費が常にあり、江戸時代中期から日本全国が禿山と化す状態となりました。その状況を嘆かれた昭和天皇が御自ら先頭に立たれ、凡そ60年程前から国を挙げて懸命に造林に努力した結果が今に見る森の国としての成果です。
森林と共に生きる山村、つまり林野率80%以上の市町村は全国に354も存在し、我国市町村全体の5分の1を占めるに至っています。また、資源と言う観点に立てば、その蓄積量は、過去46年間で2.6倍、人工林では約5.5倍に達する成果を生んでいます。
しかし皮肉なことに、そうした先人の汗と知恵の努力が歴史に刻まれながら、その成果である森林・山村が、現在では極めて困難な状況に陥っています。
グローバリゼーションの中で、多目的な公益性を有する森林を、単一の評価、例えば材木の価格としてのみ評価する時代が続き、結果として外国産材との価格競争に晒され、競争力を失った結果、我が国で唯一自給可能な資源でありながら不当な評価を受ける時代が続いたのです。その結果、労苦を重ね、撫育し、有史以来の蓄積量を持つに至った我が国の森林と、それを支える山村が逆境に喘ぐ状況に立ち至っています。森林を守り育て、材を搬出することにより暮らしの糧を得てきた山村、それを支えた森と生きる人々や歴史に培われた伝統文化の知恵が消滅し、森林を健全に維持し、安全に合理的・経済的に伐採・搬出、育樹するための技能や技術等、森林とそれを擁する地域の双方が今まさに危機に瀕しています。
森林空間は、商品取引の対象としての木材資源を生み出す価値にも大きな意味がありますが、グリーンインフラとして国土保全機能を果たすばかりか、先にも触れたように地球温暖化を抑制する二酸化炭素の重要な吸収源であり、生物多様性の保続を図る空間など多面的な公益的機能を果たす極めて重要な空間です。またその優れた景観は多くの人々にやすらぎを提供し、日々のテクノストレスからの解放や癒しをもたらし、公衆衛生にも寄与するとともに大きな観光資源ともなっているのです。
それは、持続可能な未来を目標化した2015年のサミットの国際合意SDGsの17の個別目標の中でも、健全な森林とそれを支える山村社会が元気であることが極めて重要であると謳われています。
諸君らはこうした機能を保続させ、さらに拡大するためにも、様々な森林に関係する多様な職能を磨き、まずは林業を経営的に魅力あるものとし、次いでありとあらゆる知恵を動員し、新たな森林や森林資源の魅力を深めてください。
以上の意味から、森と木のクリエーター科と森と木のエンジニア科の2学科それぞれで学ぶ2年間は、諸君自身の自己実現の為ばかりではなく、多くの課題を抱えた世界そして言うまでもなく我国の森林・林業の現場にとり、極めて高い意味と価値があるという自覚を改めて深めて頂きたいと思います。
今や無目的に集まる「衆」の時代は終わりました。意志無き集団が時代の流れに身を任せ、身近な仲間だけを自分の世界とし、予定調和の個性無き行動をとる。これがいわゆる大衆の衆の時代です。何故こうした時代が続いたのか。それは言うまでもなく少品種大量生産、大量消費の時代。そうした生産行為には個の独自性の発揮よりも、ベルトコンベアーを流れる作業のように統制されたように同じ方向を見ることが重視されたからでしょう。
これからの時代は、責任ある「個」の時代です。先ずは自己実現、つまり自分らしさ、そして自分の選択に勝利を飾るために「個」を磨き、やがて社会的共通価値、そう世界や地域が直面する課題に対し、学びを糧としてその課題解決のために各々のやり方で先ずは行動する。それでも課題が解決しないのであれば同じ意識を持つ同志が集い解決を目指す。既に諸君が本学を選択した事実は、今や諸君自身がそうした時代の先駆けとなっているのであることを自覚してください。
勿論、時に力尽きそうなときがあるでしょう。そうした時には、先ず諸君が本学を選び舟を漕ぎだしたのは他ならぬ諸君自身であることを振り返り、その上で本学の教員や諸先輩やそして学友等の学びの同志を遠慮なく頼ってください。諸君の傍らに我々教職員はもとより、同期・同窓の仲間が居ることを忘れてはなりません。誰しもが、様々な悩みと共に人生を過ごしているのです。今日の初心を忘れず、一人にならず、自分の心を開いてみてください。自分が心を開けば、必ず他者も自分に心を開くものです。もとより、我々教職員は、常に諸君の傍らにあって、諸君が最善の航路を選択できるよう努力を惜しみません。
取り分け、慣れぬ大自然を相手とする学習の連続であることから、諸君の日常は、これまでとは全く違う時間の過ごし方となるでしょう。時には労働を伴う学びから、肉体的疲労感に悩まされることがあるかも知れません。しかし必ずや、自然と向き合う日々は、これまでに経験したことがない多くの気づきと喜びを諸君にもたらしてくれるものと確信します。
そうした心がけを大切にしてくれれば、本学における2年間は必ずや、自己実現を含め、諸君の明日を照らすに相応しいものとなりましょう。
幸いにして、そうした志を篤く持つ学生に対しては、ドイツのロッテンブルク林業大学との交流協定がさらに5年間の延長が決まり、これまで以上に頻度の高い交流が企画されています。ドイツに出向いて学ぶ機会が提供され、現に諸君の先輩は今まさに現地の大学の高い評価を得ながら勉学に勤しんでいます。取り分け本年度は、県林政部の直轄事業として都市と森林の関係を幼児の段階から身近にするために、ぎふ木育30年ビジョンに基づいた「ぎふ木遊館」が岐阜市内にこの4月28日にオープンし、それと呼応し本学に諸君もこの式場に入る前に目にしたであろうドイツのハウスデスバルデスをモデルにした森林総合教育センター「モリノス」が5月15日に開設されます。県民のみならず多くの国民が本学を舞台に、森の大切さに気付き、その森を楽しみ、遊びの中からの多くの気づきから、森林をキャンパスとして感じ、楽しみながら学ぶ環境が整うのです。そこに集う市民や子供たちとの出会いを通じ、諸君自身もまた成長を遂げる事が出来ると信じています。
このように、片や国際的視野を持ち、もう一方で国内自治体とりわけ岐阜県下の自治体と連携し森林・林業の諸課題の解決を目指そうとしているのが本学です。
そうしたフィールドを対象に、諸君は森林の維持管理に対する企画力、創造力を養い、林業、森林環境教育、木造建築、木工の指導者となるために、多岐にわたる分野から、自己実現と符合した解をこの2年間の中で見出す道筋が用意されています。また、この方向に人生をかけようとの決心を得た諸君に対しては、インターンシップの受け皿となり、生きた現場の最新の情報を提供し、多くの卒業生を受け入れて下さっている森林・林業に関わる産業界が上下流一丸となり、価値ある経済活動を実践されておられる「岐阜県森林技術開発・普及コンソーシアム」が多いに諸君を支援してくださることでしょう。
これら多用に備わった本学のネットワークやチャレンジングな機会を、是非とも諸君らが積極的に利活用し、森林空間や山村社会、林業・建築・木材加工などの分野から2年後には各々の自己実現の方向を見出してください。本学、いや、かくいう学長の教育の基本理念は現地現物主義です。百の理屈よりも現地や現物に先ず触れることが大切であると、私の人生経験からもたらされた信念です。
諸君が日々前向きになれるよう、また諸君をより望ましい方向に導けるよう、我々教職員もまた、諸君と一体となり、進化を遂げていく所存です。
今日より改めて諸君という新たな同志を加え、持続的未来を支えるに相応しい健全な森の力があってこそ、様々な心や物を涵養する森林が維持できるよう、一緒に努力を致しましょう。そして自然とのバランスを欠いた歴史からの反逆、コロナウイルスなどが我々に襲い掛かかっても、我々自身のありようを点検しつつ人として、生き残る権利を持つ生物種人類としてこれら見えぬ敵との戦いに我々の分野から反撃し勝利しましょう。それこそが多くの人々に幸がもたらされる道筋であり、我々自身の自己実現そのものであります。
ともあれ諸君、改めてご入学おめでとう。
令和2年4月8日
岐阜県立森林文化アカデミー
学長 涌井 史郎